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【絶対に変わると決めて過ごしてみる】
今月のトータルコンディショニング(TC)ウィークが終わり、また来月がくる。
毎月毎月繰り返す。
確か、去年の3月か4月頃から、初日をずっと担当させていただいている。
今朝、参加されてる方から、武田先生にとって緊張の1週間、毎月大切な緊張感ですねと、メッセージが含まれていた。
参加者さんが参加する理由があるように、僕にとっても理由はある。
おっしゃる通りで、この緊張感が自分にとってかなりの刺激である。
同じことをしていると、どんなことも大体は慣れてくるが、確かにレッスンは初期より言葉がスッとは出てくるけど、慣れはしない。
以前、森田先生から緊張しなくなったら終わり。
緊張してるように見えないです、と言われることもあるけど、そんなことはない。
そもそも人前が大の苦手だから。
初日が近づくほど、ソワソワが強くなる。
それは変わらない。
だけど、そこに乗らない反応しない。
緊張してるように見せない。
それは特別講座のテーマでもやっている。
12時1時の深夜覚醒は起きなくなってきた。笑
不必要な緊張は抜けたのではないか。
以前、指導者コースでTCを受けてもらった時に、可もなく不可もなく。と評価をいただいた。
どうしたらいいんだろう?
そろそろ刺激が必要ですねと森田先生に言われ、でもこれは前から言われていることであり、自分でもその刺激を見つけられるようにならないとですねとも言われている。
定期的に個人セッションを受けている、透視リーダー・ヒーラーの井上真由美さんにも相談したりして。
その時に言っていただいたのが、
「教科書通りのレッスン」
「間違ったらいけない、間違ったらどうしよう」
赤点ではないけど、加点が無い。
ふと思ったのが、フィギュアスケートとか体操の点数の付け方ではないが、基礎点しかないんだと。
表現力、芸術点みたいなのがないんだなと。
じゃそれって何?
どれだけ魅了させられたか、引き込ませられるか。
かと言って、魅了させるぞ!は違い、そこに集中していることに対して人は魅了されると教えてもらった。
派手なことをするでも、装飾するでも何かを付け加えるでもなく。
話しはそれるが、たまたまYouTubeでピアニストの辻井伸行さんの「春よ来い」を聞き、コメント欄を見て、あっ、そういうことかと思った。
・ここまで上手いとアレンジとか自我が出てくるのに。
・ものすごいテクニックを組み込んで弾いているわけでもなく、原曲に忠実に奏でられる音がこんなにも美しいなんて。
・1音1音に魂を感じます。
ユーミンが好きで中学生から聞いてるから、意味が分かる。
聞いていて、確かにそうだ。
つい、出来ることや知識が増えると出したくなっちゃう。
変にアレンジや装飾しちゃう。
そうじゃない。
ここで踏ん張れるか。
トータルコンディショニングという型があり、その一つ一つの意味を自分が理解して、腑に落としているのか。
同じセリフでも、そこに自分が体験したものをのせて。
これもよく言われる自分にとって通っているか。
全ての言葉に意味をのせて。
ここでも最終的には、何をするかではなく、誰がやっているのかになるんだなと。
同じプログラムでも、先月と違うものに。
でも中身はいじくらない。
それなのに伝わり方が変わる。
これがすごく面白い!
全て日々の過ごし方が表現されるので、自分の在り方が問われる。
そうするとトータルコンディショニングだけでなく、他の調整法やそれをして変わった自分でどう過ごすか。
違和感に気づき、自分に適った形に変えていく。
絶対に先月よりも変わってレッスンすると決めているから。
あっ、これって自分でハードル上げたなと、今思った。笑