「変われない」そんな時は。
変わりたいのに、なかなか変わらなくて辛い。
そんな時があります。
数ヶ月単位、もう年単位。
何十年来の悩み、などもあるかもしれません。
ずっと、ずっと握りしめているもの。
それは、とても大事にしている「思い」。
つまり、変わらない「⚫︎⚫︎な自分」という、否定している自分や状況を前提(ベース)を握りしめているとう事実も見えてきます。
その前提の思いがあるから、変わりたいのです。
「変わる」ってなんでしょうか。
目の前の事実が、良いと思った方に変わったこと?
マイナスがプラスに、もしくは反対になったこと?
陰陽、二元の世界で物事をみていると、常に変化に翻弄されます。
アップダウンの繰り返しです。
事実、私たちの生きる世界、肉体、感情は、常に変化し続けています。
変化は、生きている証拠です。
その一部を切り取って、良いとか悪いとジャッジしてるのは、私たちの頭と固定観念です。
それをコントロールしようとすると、自然のプロセスに反しているので、翻弄されて、とても疲れてしまいます。
無理くり頑張ってしまったり、力んでしまうのです。
変化を一生懸命コントロールしたり、監視するよりも。
自分の持ち続けている固定概念やイメージ、捉え方を変えることが、結果的にすんなりと動かなかった状況が、自然と動いていくことがあります。
それを「変化」ではなく、「変容」と言います。
「変容とは、視点(視野)そのものが変化するすること」
視点が変わると、見えている世界そのものが変わります。
自分に対するイメージも変わり
つまり、新しい自分のイメージを手に入れられる・・・
「変容」というコトバのイメージは、
サナギが蝶になるイメージ。
(と‥ネットから素敵な説明があったので引用)
では、概念や捉え方が変わること、つまり思いが変わることで、どうなるのか??
今まで、とても酷く苦しいとか、辛いと感じていたことへの自分の「反応の仕方」が変わっていくのです。
それは、とっても新しい感覚です‥!
「早くやらなきゃ」
「間違えてしまったら、どうしよう」
「もっと、もっと頑張らなきゃ」
「足りない、できていないことでいっぱいだ」
そんな、不安や焦りの様な反応が‥
↓↓
「まぁ、こんな時もあるな」
「そういえば、前より気にならない」
「あ、起こってるな‥ちょっと様子見しよ」終わり。
みたいな。
ベッタリくっついていたイメージから距離ができることで、落ち着いた、客観的な反応に切り替わっていく感覚です。
握りしめて、どうにかこうにかしようと思っていた悩み、苦悩が、まるで違うものとして見れた時。
執着していた問題は、自分が作り出したものだと気がつきます。
そして、フッと風が優しく吹くように、目の前から受け取れるものが変わっていきます。
私は以前、こういう自分でいなくてはならない。
こういう風な自分でいたい、ここがダメだから解決したい。
という、どこか希望の様な、もしくは脅迫的な思いがありました。
だけれども、そうじゃない、そういう風になれない自分ばかりが、見えるわけです。
苦しくて、そんな自分を押し込めたり、なんとか希望の方にお尻をたたいて引っ張るわけですが、常に陰に追いかけられるわけです。
ある時ふと‥
『どうして、そういう自分じゃなきゃいけないと思い込んでるのだろうか?』
『どうして自分をそういう存在としてに見たり、固定化するんだろうか?』
『もっと私の存在は、自由なのではないだろうか?』
と思ったのです。
その時、はじめて私は、自分の体と心の全ての可能性、変化の自由を自然に受け入れられた気がしました。
それから、ゆっくりと自然の流れに落ち着いて、身を置ける様になっていきました。
「自分の存在を決めつけていないし、新しく今まで持ったこともない希望を持ったとしても大丈夫。」
そんな、自由という安心感のベースから、とても軽く、柔軟に、目の前の日常に取り組めるようになりました。
無理にハイにして、自分を見失わせるパワーとは違い。
自分の中から、そっと湧くエネルギーと、ただ繋がっているそんな感覚です。
私たち人間の身体や頭の機能は、フォーカスしたいところにしか、反応できません。
物事や状況を思った様に変えることや方法に、必死になるのではなく。
物事や状況の捉え方、フォーカスの仕方を変えてみるのです。
けしてプラス思考になりましょうって話しではなく。
事実を落ち着いて受け取る、知るということ。
いろいろな視点から。
変われない時は、こうでなければならない!こうしなきゃいけないんだ、という強い思いを握りしめているから。
それをゆっくり力を抜いて、眺めてみる。
「どうして、そうじゃなくちゃいけないのかな?」
と、自分に問いかけてみて下さい。
そうしたら、もっと私たちは楽になっていく。
頑張ってコントロールする必要もないことに、「絶対」では、ないことに気がついていきます。
そして、勝手に自然の流れとともに生きている、変わっている自分がいる。
武田 生宇