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第五章:龍神さがし

義円が属する宗派の法力僧たちは、血眼になって失われた龍神を探し始めた。
一夜明け、貞観の元にも朝から義円がやってきていた。
「一晩中さがしたが、龍神様のお姿はどこへ行ってしまったのやら、誰も見つけることができないでいる」
昨夜から夜通し探していたのであろう、清らかであったはずの衣を泥だらけにして、義円は疲労困憊といったふうである。
「龍神様のお姿が消えた時、雷のように、あたりがぱっと光って、その後、雷鳴のようなものがとどろいたよねえ」
貞観が昨夜のことを思い出そうと努めながら言う。
「ああ、あの瞬間のことは、皆が覚えておる。ぱっと辺りが照らされたかと思うと、雷鳴が轟き、灯されていた光が消え、次に明りが灯された時には、龍神様のお姿が消えておったのだ」
誰をせっついても、皆それ以上のことを覚えてはいないという。
「一瞬のことだったからねぇ」
貞観は家人に言って、疲れ切った義円の前に二敗目の白湯をもってこさせる。
義円はその白湯を一口すすり、嘆くように吐いた。
「あの龍神様は我が宗派の守り主。呪いの主力となっていただいていたもの故、龍神様がいらっしゃらないとなると、稼業に差しさわりが出てしまう」
そこは「商売」の間違いではなかろうか、と貞観は口にしそうになったが寸手のところでこらえた。
「とりあえず、龍神様が見つかるまでは、加持祈祷の体を保つしかあるまい」
白湯に二口目をつけたところで、義円はがっくりとうなだれてみせた。
「義円、おぬしは一旦休んだ方がよい。また進展があれば、こちらから知らせる故」
「ああ、悪いがそうさせてもらう。また何かあればいつでも呼んでくれ」
貞観と義円は、こう約束してひとまず別れたのであった。
 
「あれ、貞観様、どちらへ」
家人の稲が、主を見止めて呼びかけた。
「ちょっと京まで」
午前中に義円を送り出した貞観は、午後になって、御者を一人呼び止め、京の都にまで繰り出したのであった。
再びの京である。
夏の暑さは、やはり京の都を今日も白く輝かせていた。
「ふぅ、暑いねぇ」
牛車に揺られながら、貞観は朱雀大路の往来を見るともなく見やる。
今から貞観がすることを、義円にあらかじめ伝えれば、きっと義円は止めるだろう。
だからこれは、義円には内緒で、一人でせねばならぬことなのだ。
貞観はそういった多少の罪悪感はありながらも、ここは人助けだと思って、一路、陰陽寮を目指していた。
 
牛車は、果たして、先日停車したのと同じ、陰陽寮の一角に到着した。
「お前はここで待っておいで」
貞観は、またしても己の足で、陰陽寮の門をくぐった。
なんとなく、そうしたい気がしたのだった。
「ごめんくだされ」
「はぁい」
書物を繰っていた受付の男性に声をかけ、予約もないがと断りを入れたうえで、このあいだ会った陰陽師に会いたいと貞観は申し出た。
「この間、と言いますと」
受付の男性が尋ねる。
先日もそうであったが、ひっきりなしに来客があるようで、受付の男性は貞観のことを露ほども覚えていなかった。
「加茂殿と、清原殿でございますれば」
「ああ、ああ、そのお二人で」
受付の男性は心得たように、近くを通り過ぎようとする若手に声をかけた。
若者は助手であろうか、何やら返事をしたのち、屋敷の奥へと消えていった。
しばらく待つようにと言われ、貞観は玄関口に置かれた長椅子に腰かけて次の指示を待った。
玄関口からは、軒先に植えられた植物が垣根を作り、夏の日差しに照らされているのが見えた。
太陽は、もうそろそろ一番高い位置にさしかかろうという頃合いであった。
ややあって、再び奥から先ほどの若い男が小走りにかけてきて、受付の男性に何やら耳打ちをした。
それから、「お待たせしました。こちらへどうぞ」と言われ、貞観は若い助手の先導で、今度は「第一教場」と書かれた部屋まで、つらつらと角を降りながら屋敷の中を進んでいったのだった。
 
「やぁやぁ、先日ぶりですなぁ」
教場の教壇で書を繰っていた加茂が、貞観を見止めて目を細めた。
「お世話になっております」
貞観はぺこりとお辞儀をする。
供をしていた若い男に白湯を差し出され、貞観はそれに一口つけてからしゃべりだした。
「実は、先日、こちらで加持祈祷をさせていただいたのですが、その後、縁あって知り合いの法力僧たちにも、同じ加持祈祷を願い出ることとなったのです」
「ほう」
加茂と清原も、白湯に口をつけながら貞観の次の句を待つ。
「そこで、実はこれは他言無用と言われたのですが、なんとそこでは龍神が祀られておりまして」
「ほう、ほう、龍神とな」
加茂は温和な表情を崩さずにうなづく。
「それが、加持祈祷の最中に、ぱっと光が輝いたかと思うと、雷鳴のような音と共に龍神様が消えてしまったのでございます」
「なんと……」
清原が思わず口からため息をもらす。
「それで、知り合いの僧たちは、夜を徹して龍神様探しに必死になっておりまして。いてもたってもいられず、私もこうして相談に参ったという次第でございます」
「ははぁ、法力僧自ら陰陽寮には来られぬと踏んでですかな」
「おっしゃる通りで」
ほ、ほ、と加茂は笑うと、白湯をぐいと飲み干して言った。
「そういうお話でしたら、こちらにも詳しい者がございますので、その者に尋ねてみましょう」
「本当でございますか。ありがとうございます」
こうして貞観たち一行は、京の南西の柳葉という地へと赴くことになったのである。
 
京の南西、裏鬼門に、柳葉という村がある。
今から二十年ほど前に、その地では大鯰が暴れる大事件があったとかで、加茂や清原もその場にいたのだが、今となっては知る人もなく、歴史書の末尾にひっそりと記されているだけである。
柳葉の一角に、小さな稲荷神社が建てられている。
二十年前の事件の折に、この地に封印された陰陽師がいた。
名を、安部一色《あべのいしき》という。
二十年前、この地では、大鯰により大地に大きな穴が開けられ、何事をもそれが飲み込もうとした。
その穴をふさぐには内側から誰かがふさぐしかないということで、当時陰陽寮の期待の星であった安部一色が、不運にも穴に呑まれたことにより、内側から穴を閉じる役を担ったのだった。
果たして今、加茂真中と清原玄奈は、かつての同僚である安部一色を呼び起こそうとしているのだった。
「うまくいくかな。書物に書いてある通りにするけれど」
そう言って加茂は、お供え物として持ってきた饅頭を、稲荷神社の社の前にぽんと置いた。
それから印を結ぶと、小さな声で呪を唱え始めた。
しだいに、加茂の体の輪郭が紫色に光り始める。
足元に散っていた木の葉が、夏だというのに四方から吹いてくる大風に舞って八方へと散る。
「おおん」
加茂が呪を唱え終えた時、社の扉は開き、一人の人物の影があった。
「ずいぶん乱暴な呼び出し方だな、真中」
そこには、狐顔をした壮年の男性が一人、たたずんでいた。
安部一色、その人であった。
「玄奈も、久しぶり」
言って一色はひらりと地面に降り立った。
一色の姿を見とめて、加茂と清原の表情がぱっと華やぐ。
「やあやあ、十年以上ぶりだねぇ。元気そうで何よりだ。少し老けたんじゃないか」
そう言い合って互いに笑う姿に、貞観はかつての陰陽寮の若者たちの姿を見た。
互いにねぎらい合った後、一呼吸置いて、一色が加茂に尋ねた。
「私を呼び出したからには、何か相談でもあるのかな」
「ああ、実は」と言って、加茂は事の顛末を一色に話して聞かせた。
「なるほど、雷鳴で姿を消した龍神か」
話を聞いて、一色はしばし考えるそぶりをする。
四方からは、うだるような暑さと共に、蝉の大合唱が聞こえている。
しばらくして、一色は思い出したように印を結ぶと、小さく呪を唱え、鼻をくんくんとさせた。
何やら皆の匂いをかいでいる。
そうして、「なるほどね」と得心したようにつぶやいた。
「残り香から、怨恨の匂いがする。寺に強烈な恨みを持つ者の仕業だねぇ。寺に恨みを持つ者からあたってみるといいよ。匂いから分かるのは、それだけだねぇ」
「そうか、それ以上のことは分からないか」
「情報が少なすぎるからねぇ。用が済んだならもう私はゆくよ。あまり生身の者と触れ合うと、君たちに触りが出るからね」
「あちら」側の者と生者が触れ合うと、生者の魂があちら側に引きずられると、書物にはある。
「ああ、ありがとう、また」
加茂と清原が手を振る。
「あ、そうそう」
一色が、貞観を振り返って言った。
「君、なぜそんなに諦めの気持ちが強いんだろうねぇ。生きているのだから、もっと生きることに前向きにならないと駄目だよ。命は常にあるものではないからね。若いのだから、もっと前のめりでもいいのだよ。既にこの世にない者からの助言だよ、これは」
「は、はい……」
何やら的を射たような一色の突然の言に、貞観はそう返すのがやっとであった。
「ではね、またねぇ」
そうして、一色は皆に見送られながら、社の奥へと消えていったのであった。
 
「さて、どうしたものか」
自邸に帰宅した後、貞観は稲を前にそうつぶやいた。
稲は、何が何だか分からない顔をしている。
その様子を見やって、貞観はふっと笑みをこぼす。
一色は「寺に恨みを持つ者を探せ」と言ったが、義円たち法力僧は、当然その線で龍神が消えた先を探しているだろう。
貞観がわざわざ陰陽師のところへ出向いて相談してきたことは、義円には言わなくてもよいかもしれない。
とんだ無駄足だったわけだ。
ふぅ、とひとつため息をつき、貞観は厠へ立った。
しかし。
義円たち法力僧に恨みを持つ者とは、一体何者であろうか――。
彼らの宗派と言えば、大枠で見れば南都六宗と呼ばれて久しい。
分けようと思えばどこまでも分けることができるが、まずはこの大枠から、恨みを持つ者を思い描いてみようと、貞観は試みた。
大和の南都六宗を敵にしようなどという者が、果たしてこの世の中にいるのだろうかと。
すぐに頭に浮かんだのは、北の密教系の奴らのことであった。
奴らは、南都とは異なり、何やら怪しげな秘術を使うというではないか。
延暦寺と高野山がその筆頭だが、どちらもお上の覚えめでたく、時勢を誇っていると聞く。
「お上」と言えば、白河法皇の「賀茂川の水、双六の賽、山法師、これぞわが心にかなわぬもの」とこぼされた言が、昨今は有名になっている。
この言の中に「山法師」とある。
これはもしや、法力僧のことではあるまいか。
いやいや、もしや、白河法皇おん自らがこの件に関わっているなどということは――。
貞観の思考がその危うい橋にさしかかったときであった。
辺りがぱっと光った。
かと思うと、貞観の姿は厠の前から消えていた。
後には、腰を抜かす家人の姿が見られるだけであった。
 

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