第四章 襲撃
里山をゆく水干姿が二つ。
一色と雅之は、一応の土産話を携え、一路、村の道を辿っている。
社の狐は結局何も知らなかったが、最後に一つ、「人のことは人に聞け」と助言を与えてくれた。
他でもない神格からの助言に従わない理由はなかった。
稲荷神社の鳥居を逆にくぐり、来た道を戻る二人の目に、里山の景色は優しかった。
日頃、暗い室内で書物を相手に膝を突き合わせている身にとっては、里山から流れ来る小川のせせらぎや、野に咲く花々、川沿いに立ち並ぶ満開の桜の木々などが、いかにもまぶしく感じられる。
「このまま物見遊山と洒落こみたいなぁ。」
その辺りに生えていた草を口にくわえながら雅之が言う。
「本当に。これが仕事でなければどれよど良いか。」
一色が同調を示す。
会話はそれきり、二人とも、目の前のに広がるのどかな景色に身を溶かしてしまいたく感じ入っていた。
しかし、その沈黙はすぐに破られることになる。
はじめに異変に気付いたのは一色である。
例の土地が視界に入る距離まで近づいた時だった。
「人影が、無い。」
一色が口にした。
見ると、「畑仕事があるから」と言って神社の手前で別れた鈴の姿が見当たらない。
父親である与兵衛の姿も無い。
「小屋で一服でもしておるのよ。」
雅之はこともなげに言う。
二人は、与兵衛と鈴の姿を探し、小屋の戸をくぐった。
しかし――。
小屋に一歩足を踏み入れた途端、つんと生臭い匂いが鼻をついた。
これは――。
入口の開け放たれた戸から漏れ入る光が照らしだしたのは、一面の血の海だった。
「や――。」
土間の奥、座敷の手前の地面の上に、人影らしきものが見える。
二人は急ぎ駆け寄った。
それはまごうことなく、与兵衛と鈴であった。
二人とも、ぐったりとして息をしていない。
「これはどうしたことだ。」
雅之が鈴を抱え込んだ。
両の手に、生暖かいものがにじむ。
一色と雅之が改めてみたところ、二人は既にこと切れていた。
そして、二人の背には、大きく袈裟切りにされた跡が生々しく口を開いているのであった。
「雅之、この二人は誰かに襲われたに違いない。
急ぎ、この場を離れよう。」
一色の言で、二人は小屋から見える距離にある竹藪へと身を隠した。
まだぬくもりの残る与兵衛と鈴の遺体をその場に残して小屋を去るのは心苦しかったが、こういう場合は急ぎ身を隠すべきであると、上司から教わっていたのだった。
呪を生業とする身の上故、護身術を含め争いごとの起こった際の身の処し方は、一通り学んではいる二人である。
身のこなしは早かった。
「して、いかがする。」
小屋と例の土地を視界にとらえたまま、竹藪に身をひそめる雅之が、これまた身を小さくして息をひそめている一色に問うた。
「しばらく待って、動きがなければ村の裏道を通って都に帰ろう。上に報告せねばならん事態だ。」
「分かった。」
そうして二人は、竹藪の中、辛抱強く、半時ほどじっと小屋を見守っていた。
日は、二人の頭上を過ぎようという頃合いであった。
暖かな午後の日差しが降り注ぎ、辺りの緑を若々しく照らし出している。
ともすれば変化のない、どこにでもある田園風景である。
しかし今、この里は凶事に見舞われていた。
この頃、地方を守る役人の力が弱まり、農民同士による土地の奪い合いが横行していた。
その為、自営を目的として農民自らが手に武器を取り土地を守るという事態が起こっていた。
彼らはより強い力を手にするべく徒党を組み、由緒正しい者を頭に据え、いつしか「武士団」と呼ばれるに至っていた。
ひそやかに時代は、のどかな農村に刀きらめく、そんな時代になっていたのである。
小屋に近づく五人組に気が付いたのは同時だった。
なにやら、先頭をゆく二人が後ろ手に縄をかけられ、後に続く三人に小突かれている。
一色と雅之は、片手の指を丸め、その穴から彼らを見やった。
どうやら、後方の三名は手に刀を握っている。
そして、前を行く二人を見て、思わず一色は声をあげた。
「真中!玄奈!」
「しいっ。声がでかい。聞こえてしまうぞ。」
列は例の土地のそばを通り過ぎ、つと与兵衛と鈴の死体が横たわる小屋へと入ってゆく。
いい予感はしない。
真中と玄奈の二人が、今にも殺されてしまうかのような印象を抱き、一色は言った。
「助けにゆく。」
小屋の戸は開け放たれている。
そこへまず真中、次に玄奈、そして各々の手に刀を握った褌《ふんどし》姿の男が三名、敷居をまたいだ。
小屋に入りすぐに血だまりに気づいた真中は「ひいっ」と悲鳴をあげた。
次いでその中に倒れているのが、他でもない、昨夜にぎやかしく語らった与兵衛と鈴であることを知り、旋律した。
「あの、命ばかりは……。」
「うるさい、大人しく座敷に座れ。」
言われて真中と玄奈は、冷たくなっているであろう二人の遺体を避けるように土間を進み、囲炉裏端にあぐらをかいた。
これから私たちはどうなるのか、何をされるのか――。
真中と玄奈はもはや顔を見合わせることもなく、それぞれ顔を青くして宙を見つめていた。
男の一人は、二人のそばに腰を下ろし、もう一人は入口に立ったまま、残る一人は水がめから水を汲み口を注いでいる。
長くはない道中の疲れを、ほっと一息ついた瞬間であった。
「ちょっとそこの旦那さま。」
どこかから、女の声が聞こえた。
男の一人がけげんな顔をする。
「おぬし、今、何か言ったか?」
「いや。」
男たちは首をかしげる。
真中と玄奈は顔を見合わせた。
「旦那様ったら、こちらですよ。」
女の声はなおも続く。
「聞いたか。」
男が言う。
「きっと聞こえた。」
男たちは口々に確認し合い、しばし、脇に置いていた刀を手に取った。
「何者じゃ。」
男の一人が、その場で刀を一振りした。
「出てこい。切り殺してくれよう。」
他の二人も、その場で身構える。
真中と玄奈は、縛られながらもその場でかたく身を寄せ合った。
「では、お望み通り――。」
そう聞こえたかと思うと、宙より一筋の刀が現れた。
「な、なんじゃあ。」
言う間もなく、そう発した男の頭がごろりとその場に落ちた。
宙を舞う刀は問う。
「次は誰かえ。」
「ひぃっ。」
二人の男は手にした刀を放り投げ、一目散に小屋を出て行った。
後に残された真中と玄奈は、ぽかんとして顔を見合わせている。
宙に浮いた刀は、姿を消していた。
「間に合ったか。」
そう聞こえたのは、二人の男が小屋を出てしばらく経った頃だった。
「やぁやぁ、真中に玄奈、無事だったか。」
小屋の入り口に顔を出した一色と雅之を見つけ、二人は涙で瞳をうるませた。
「もう駄目かと思いました。」
縄をほどかれながら真中が言う。
「それにしても、もしかして先ほどの術は……?」
まだ涙をうるませている玄奈が問う。
「そう、禁術中の禁術よ。一色の奴、容赦せんなぁ。」
言って雅之は、新たに出来た頭の離れた死体に目をやった。
「すみません、二人の事を思うといてもたってもいられなくて。」
ややばつの悪そうな顔をする一色であったが、真中と玄奈の感謝はその上をゆく。
小屋の中に笑いが起こる。
ここに、彼らの様子を小屋の外、竹藪の中から覗き見る者が一人いた。
彼の名を、平貞盛といった。