間違いだらけの人間の進化
本来の私たちの生活とは?
この発展し、ルールに縛られた時代を生きる私たちが日々感じている感情はおそらく「息苦しさ」だろう
これは生また時から当たり前のように存在するルールでいわば酸素と同じである
しかし、本能的に生き辛く感じていることも事実である
なぜなら本来の私たちの能力を活かす社会ではなく、社会のルールに合った能力を伸ばすことを強制されているからだろう
私たちがホモサピエンスと呼ばれていた頃、日々の生活はとてもシンプルだった
鹿を捕らえ、魚を捕らえ、樹になった実を毟って栄養を得る
まさに雑食の哺乳類といったところだ
しかしある時、農業革命が起こった
人々は穀物を栽培し、家畜を育て、カーストを定めたのである
穀物の栽培で私たちの生活は繰り返しの日常となり慢性的な身体の異変にも苦しむようになった
※ヘルニアなど
家畜は新たな病原菌を人間に与え、多数の人間に死を与えた
しかし人間たちはその生活をやめることはできなかった
なぜなら数が増えすぎてしまったからである
この時点で私たち人間の生活は、食糧を増やすことが目的となってしまっていたのである
こうしてより多くの食糧を生産し、保存する方法を試行錯誤しながら編み出し続けた
しかしその食糧がこと足りることはなかった
なぜなら同様にカースト制度が発達し、上位のものがそれらを支配してしまったからである
こうして私たち人間は一部の富んだ人間と一生働き続けることを強いられた人間の2つに分かれたのである
これが今もなお続いていており、私たち人間の意識下に価値観として刻み込まれているのである
これからも私たちはこれからも便利なものを生み出し続ける
そして生まれたものは贅沢品と呼ばれた
贅沢品はいつしか必需品となり人間に新たな義務を与える
例えば手紙
もとは返事に時間がかかることが当たり前だったがメールの発明ですぐに返事を求められるようになった
このような発明は人間の生活を豊かにしたのだろうか?
一部ではそう言えるだろうが、同様に私たちの生活は少しずつ身動きが取れなくなっているとも言えないだろうか
私たちは本来の生き方から急激な成長を遂げ生態系の頂点へと駆け上がった
そのため人間の成長に対する周りの環境の成長が追いついていない
環境を破壊し続けている生活に私たちがこれから直面する問題は地球に住み続けられるかだろう
私たちの子孫が繁栄するための舵取りは生存競争のぎりぎりのところまで迫っているのである