3匹のハムスターが草原を駆けている
※ハムスターの亡くなる間際の描写があります。ご注意ください。
※感情のままに書いているのでぐちゃぐちゃです。ご容赦を。
今日10:30過ぎ、最愛のこむぎちゃんが旅立った。
昨晩ゲームの試合が終わったあたりに、フラフラとした足取りで扉の前に現れたこむぎちゃん。どうしたのと抱っこすると体が冷たく、悟った。今夜が山だと。
どうすることもできなくて、手のひらの体温で温めることしかできなかった。眠そうに目を細めるとしばらく動かず、ハッとして少し動いてまた眠そうにしてを繰り返していた。夜通し様子を伺い、タオルケットと床材でつくったふかふかベットの中、朝には父と母にも別れを告げる時間をくれた。そのまま、日が差し込む温い午前の空気の中、ゆっくりとゆっくりと別れを惜しむかのように旅立った。
初めてハムスターと出会ったのは、小学校の頃。当時小学生だった、たけこ少女が大親友のNちゃんのお家に遊びに行った日のことだった。Nちゃんの家ではハムスターを複数匹飼っており、その様子を見させてもらった。お昼寝の時間で抱っこすることは叶わなかったが、こんなに可愛い生き物がいることに衝撃を受けた出来事として記憶に残っている。いつか自分もハムスターと一緒に生活したい。喘息だったので叶えるにはまず病気を治さなければならなかったが、そんなことを思っていた。
それから数十年が経ち、たけこ少女が社会にもまれ大酒食らいになった頃。世間ではコロナが流行した。今までに経験したことがない孤独感と実家の祖父の入院が重なり、精神的にかなり追い詰められていた。そんな時に少女時代に思った「ハムスターをお迎えしたい。」気持ちがふと蘇った。幸いにも喘息は治り、お迎えするための準備を整える時間も資金もある。考えてから行動に移すまでに時間はかからなかった。
初代こまち
駆け込んだ最寄りのペットショップで、一番の年長者さんだった、こまちさん。お試しの抱っこの前からこの子にしようと直感で決めていた。何もかも初めてだったハムスターとの生活は新しいことの連続だった。初めての抱っこ、時には手を噛まれたこともあった。脱走はなかったけど、ケージ内に配置した用具にぶつかって大怪我をしたこともあり慌てた。夜行性ということもあり、深夜の滑車音をどうするか試行錯誤したり、好みの齧り木を求めて複数種類の木の枝を集めたり、こまちさんが生活の中心になりどんどん彩られていった。
当時の間取り的に私の作業机の左隣にケージを置いていた。こまちさんはケージ内の右下、滑車の下がお気に入りで、位置的に私が作業している最中に様子を伺えるベストポジションだった。写真のほとんどがこの角度から撮られている。
当時勤めていた会社の繁忙期が、25時帰宅、朝7時まで持ち帰り残業、出勤してまだ25時帰宅、という生活だった。当然こまちさんに構える時間が少なくなり、朝の出勤前にお世話をする時間をとっていたその時、偶然だけど抱っこした時にウインクをしてくれたのだ。そうウインク。こまちさんにしたらただの瞬き。でもそれを見た当時の私は泣きたいほどに励まされたのだ。
その後、一緒に茨城に帰省した際に病気のため1歳ちょっとで旅立った。
二代目わらび
偶然SNSで見かけたのがわらびちゃん。これまた直感でお迎えしたいと思い、我が家の子となった。こまちさんにまだまだしてあげたいことがあった分、たくさんのことをした。おやつ然り、お散歩然り。長生きして欲しい思いから健康管理もした。
わらびさんは小悪魔的なハムスターだった。自分の可愛さをわかっていながら、それを全面に発揮してくる策士だよねとよく家族で話していた。陶器製のお家が好きで、ご飯をよく備蓄する、かぼちゃとバナナと部屋んぽが大好きな女の子。
たくさんの思い出を抱えた秋の緩やかな日が差し込む11月に、1歳半で突然とっとこ旅立っていった。
三代目こむぎ
わらびを見送ってから半年後、こむぎちゃんをお迎えした。最初はご飯をずっと食べてくれなくて心配していたのを覚えている。慣れてくると好奇心旺盛なのか、あらゆるものを齧ったし、床材を掘りまくっていた。さらに滑車を回しすぎて壊したことも記憶に新しい。実にパワフル。
野菜と砂浴びが大好きだった。砂を全部掻き出してお掃除の度に困っていたのを覚えている。3匹を比べると一際小柄でずっと体型を維持していたため、美魔女と家族からは評されていた。
なんの因果か、わらびちゃんの命日である今日、ゆっくりと旅立っていった。先輩ハムがついてくれているから旅路も心配いらないだろう。1歳と11ヶ月。頑張ったね。
どこかで、亡くなった動物たちは家族であった人間が天国に向かう時、その手前の草原で飼い主を待っているという話を聞いた。
だとしたら、3匹は私を待っていてくれるだろうか。3匹で好物自慢大会でもしていて欲しい気持ちもあるが、早いところ生まれ変わってこの世の美味しいものを頬張って欲しい気持ちもある。滑車を回すのが大好きだったので、かけっこしているかもれない。私のハムたちは速いぞ。飛ぶように駆けるんだ。
人間はというと、淋しい気持ちでいっぱいである。
あなたたちとは同じ部屋で長い時間を過ごしてきた。あなたたちが目を覚まして、動き始める気配をもう感じることができないし、ご飯の時間の大合唱カシャカシャ音も聞こえない。夜寝付く頃の子守唄でもある、隣の部屋にまで響く滑車をブンブン唸らせる音も聞こえない。
あなたたちの存在が、音が、気配が、全てが、私を支え、力になってくれていた。小さい体でとんでもないパワーである。すごいねハムちゃんたち。ありがとうねハムちゃんたち。
旅立った3匹のハムスターたちは、実家の庭木の根元に埋葬している。
初代こまちが旅立った時に、母がその周りにピンクの百合を植えてくれた。名付けて「こまちゆり」である。毎年見事な花を見せてくれて、ハムたちもきっと喜んでいるだろう。もしかしたら花より団子、ご飯よこせ!と思っているかもしれないが、残された側には祈るものが必要なのだ。許してほしい。
願わくば、旅先で満ち足りた穏やかな時間を過ごせていますように。
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