「気まずいから人を頼りたくないなあ」と弱気になった時に、思い出してほしい言葉がある
しゅんしゅしゅんです。
(こちらのnoteの続きです)
そもそも、人にお願いごとをする前ってなぜ億劫なのでしょうか?
社会的苦痛ってのは5種類あって、その全てを同時に体験する可能性があるかららしいです。
1、ステータスへの脅威
自分の知識・能力不足が発覚しバカにされたり軽蔑されたりするのではないかという恐れ
2、確実性への脅威
頼み事を受けるかどうかは相手次第なので不確実なストレス
3、自律性への脅威
ノーであっても相手の反応を受け容れざる負えないので自分のコントロール下にないストレス
4、関係性への脅威
ノーと言われると個人的に拒絶されたように感じる辛さ
5、公平性への脅威
ノーと言われると相手との関係に公平性を感じることができない気持ち悪さ
なるほどですね。
まあ、そう考えると、迷った方がマシだといわんばかりに頑なに人に道を尋ねない人がいるのも理解できますね。
しかも、人間というものは、お願いをきいてもらえる確率を実際よりも大幅に低く見積もる(約2倍くらい低く)らしいです。
なんで低く見積もるのでしょうか?
それは、お願いをされた側の「お願いを断る負荷」を考えないからです。お願いをされると「YES」と答えなければいけないプレッシャーを感じるものなのですが、そこを見積もり時の計算に入れないんですね。
(※ちなみに、面と向かってお願いするのは憚られるので、メールでお願いすることってありますよね?メールの方がお願いする側の負荷は軽減されますからね。でもこれ失敗しがちらしいですよ。メールでのお願いは、確かにお願いする側の負荷は軽減されますが、お願いされる側の断る負荷も軽減するから断りやすいんですね。大切なお願は、対面や口頭にしましょう。)
さらに、人はお願いをきいてもらえる確率を低く見積もるのと同様に、お願いをきいてもらえたとして相手がそこにかける労力も実際よりも低く見積もるらしいです。
とにかく人って自信がないのですね(笑)
お願いすることを苦痛に感じる理由をまとめると、どうせ断られる&きいてもらっても大したことをしてくれないと思うから、苦痛を乗り越えてまでお願いをする気持ちになりづらいからです。
思った以上にお願いをすることは難しいらしいです。
でも人なら誰しも、こんなことなら悩まずにさっさとお願いしておけばよかったって経験もたくさんあるはずです。
「断られるかもなあ」「嫌がられるかもなあ」とビクビクしながらもお願いをしてみると、意外や意外すんなりきいてくれた経験です。
そもそも、前回のnoteでも書きましたが、人は思った以上に人を助けたいと思っているのです。
お願いごとをすることは苦痛だ、これは過剰な思い込みです。
「ああ頼み事したくない…」
「やっぱり頼むのやめようかな…」
そう思った時は、この言葉を思い出しましょう。
最後に、かのスティーブ・ジョブズのステキなお言葉を。
僕は日常的に、助けを求めれば人はそれに応えてくれる、ということを実感している。この真実に気づいている人は少ない。なぜなら、めったに誰かに助けを求めようとしないからだ。誰かに何かをお願いしても、それを無下に断れることなんてめったにない、僕が頼み事をしたときに「嫌だね」といって電話を切る人はいなかった、その相手から同じように頼み事をされれば、僕も力を貸す。相手に恩義を返したいと思うからだ。でも、電話をかけて誰かに助けを求めようとする人は少ない。それが、何かを成し遂げる人と、夢を見るだけで終わる人との差になることもあるのではないかと思う。
やりたいの起点になれる人は強い。
自分一人では大したことができないことを受け容れられる人は強い。
そして誰かを仲間に引き込める人は強い。
誰かの「これをやりたいから、手伝ってほしい」がすべての物事の起点なのです。