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トレンドに蔓延する「怒る人々」に思うこと

みなさまこんにちは、こんばんは、おはようございます、ごいち(Blog)です。

先日、Twitterの「トレンド」をみる日課、やめました。

トレンド気にするのやめま専科

何かニュースがあがる度に騒ぎ立てる人々の発言が度々トレンド入りします。

政府への怒り、JASRACへの怒り、NHKへの怒り、諸外国への怒り、マスコミへの怒り。芸能人の不倫への怒り。

#○○を許さない
#〇〇辞めろ
#上級国民

怒りや憎しみといった「感情」に突き動かされたハッシュタグが目立つ。

私はこんなに苦しんでいるのに!
権力者はくたばれ!
給付金を配れ!

そんな「怒り」に満ち溢れた言葉で溢れています。

コロナに関しても、政府や行政の一挙手一投足に怒りが投げつけられています。能力がない中であがいている、その「無能さ」への怒り。

何故、人々はそんなにも怒るのか?いや、そうではない。「トレンド」という仕組み。トラフィックが集中したものが目立つインターネット。これが「怒り」をあらわにさせているのだ。

怒りがオイシいネット社会

いまの世界は、「怒り」が目立つ仕組みになってしまっている。

なかには、そうした仕組みを利用し、すすんで炎上することでアクセスを集めようとする芸人やYouTuberもいる。なんとかマホトなる人もその一角だろうと思う。炎上を武器にのし上がっていった結果、逮捕という結果を招いてしまった。

まとめサイトだけでなく、大手メディアですら、タイトル詐欺。記事のタイトルで人々を釣ろうとする。釣られた人々が怒りながら大挙し、サイトの記事を拡散する。

アクセスが集まることで、検索エンジンから評価され、上位表示される。広告収益が増加する。上位表示されることで、サイトの権威性が増加する。

「怒る人々」がそうしたビジネスの養分にされている。

実際は、ノイジーマイノリティが目立った結果マジョリティに見えてしまっているだけではないのか?

怒りが生み出すもの

問題なのは、人が感情に煽動されやすい、という特性をもっているところだ。実際はマイノリティのはずの「怒り」でも、目に触れることで「怒りに突き動かされる仲間」が増える可能性がある。

そこで気になるのは、それが何を産み出すのか?ということ。群衆の負の感情が産み出すものはなんだろうか?

BLMのように群衆が無関係な商店を焦土にしたり、どこかのデモのように国旗を踏みつけたり、殺人犯の家にスプレーで落書きしたり、私刑で白人を首吊り系にしたり(レオ・フランク事件)。

それらの怒りに基づく行動が、幸せな世界をつくることに本当に役立ったのだろうか?

怒れば経済はまわるのか?
怒ればコロナは解消されるのか?
怒れば皆が選挙に行って投票するのか?
怒れば皆が幸せになれるのだろうか?

自分はそうは思わない。

ただ、「市民活動」「政治活動」「ビジネス」に利用されているだけだ。

それでいいのか?

自分はそうは思わない。人々を救うのは怒りという感情ではなく、目的をもった行動だ。行動してこそ意味がある。そしてその行動の源泉は、怒りではなく、願いであるべきだ。

以上のような理由から、Twitterのトレンドを気にすることを、やめました。

利用されるのはもう御免。マーケティング活動にトレンド察知は必須、でも、今の自分に必要な情報は、怒りではない、少なくとも自分はそう思う。

皆さまはどう思いますか?

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