謳華


「じゃあ今日も母さんに似合う花、一つ選んで?」
月に一度、桶川謳華(10)はこうして花を選んでいた、目線を合わせてしゃがむ父に促されるままに店内を歩き回る。家の近所の花屋は季節の花が豊富で春にはポピーやマーガレット夏には向日葵、縦に連なるグラジオラス秋には薔薇やダリア クリスマスの季節になればポインセチアの赤が店を染めた。
 謳華の母は花が好きだった。母本人も花のように可憐で繊細で凛々しく、時にパッと笑顔を芽吹かせ周りに幸せをもたらしていたそう。
周りの人間は謳華のことをとても可愛がっていた。可愛らしいワンピースや小物を買い与え、兄や父は不器用な手で三つ編みを結ってくれる。それでも向けられる愛情を一心に受け取ることができなかった。溢れんばかりのそれは母に向けられたものなのではないかと時に錯覚してしまうからだ。
そんな母から授かった謳華という煌びやかな名前も、母が好きだった花も、謳華は好きになることができなかった。
それでも月に一度一般的な菊や百合の仏花の中に謳華の選んだ花を一輪混ぜて月命日に墓参りへと向かっていた。

  
謳華が中学3年生になろうとする頃、母の墓参りに行かなくなっていた。
それまで着ていた華やかなワンピースに袖を通すこともなく、どちらかといえばモノトーンでまとめ、パンツスタイル。髪型はショートカットが基本だった。
幼少期から兄にくっついていた影響なのか、注がれた愛への反発だろうか、
そしてなぜ墓参りに行かなくなったのか、答えを出そうとはしなかった。
「じゃあ行ってくるよ、何か欲しいものとかあるか?」
墓参りに行かなくなってもボーイッシュになってもあの頃とかわらない優しい父を
玄関まで見送る。
「ううん、大丈夫。気をつけて」
扉が閉まる直前、春の風とともに桜の花びらが謳華の足元を掠めた。
 
季節は再び巡り墓参りに行かなくなって5度も桜が咲いて散って緑を宿しそれもまた散っていった。
玄関の前でレンズから目線を逸らしながら二人の兄に挟まれる謳華は晴れ着に身を包んでいる。
晴れ着は母のもので
薄いピンクに白と朱の牡丹と桜が咲き誇っている、白銀の地に金箔が遇らわれ一羽の鶴が帯には印されていた。
好きではない花柄に身を包んでいるが
父と兄二人は口々に「綺麗」や「似合ってる」と恥ずかしげもなく謳華に伝えてくるからそれどころではなかった。
意を決した謳華が正面のカメラに赤らんだ笑みを浮かべれば、シャッターが切られた。
 
旧友に手を振り別れた謳華は慣れない着物と草履で歩きづらいながらに家路へとついていた。
ふと横を見ればあの花屋が目に入った、吸い寄せられるように店内へと足を運ぶ。
 
「素敵なお着物ですね」
パッと声のする方を振り返ると全体的にウェーブのかかったブラウンの髪にアイボリーのエプロンをつけた男性が立っていた。手にはピンクのカーネーションが入ったバケツがぶら下がっていた。
「あ、ありがとうございます…」「プレゼントでお探しですか?」
どこか耳馴染みの良いバリトンに
いや…と戸惑う。
その足元を見ると彼の持っているカーネーションが目に入る。
店頭に並んでるものとは少し違い所々茶色く亀裂が入っていた。
「あの、それは」
「今日より前にお母さんにって買いに来る人もいるから多めに用意してたんだけど。少し傷んじゃって、一緒にしておくと他の花にも移っちゃうからさ」
「これ。どうするんですか?」
予想外の問いかけだったのか少し目を見開いてから寂しげにバケツを揺らした。
「綺麗だしもったいないけど、処分することになっちゃうかな」「それ売って貰うことってできますか」「これを?」
謳華は自分でもそんな申し出をしたことに驚いていた。
エプロンの彼はそうか…と呟き、薬入れてあげても数日と持たないかもしれないしよければプレゼントするよ。とこちらに微笑む。なんとなくそのまま受け取ることができなかった謳華はそれとは別に花を選びたいと申し出た。
着物のまましゃがみこんであの頃と同じ目線になって並んだバケツを見る
来ている着物と同じような色合いのスイートピーを中心に赤いガーベラかすみ草を合わせた。
花を包みながら彼は
「10年くらい前かな、僕がまだここで働き出したばかりの頃、月に一度お母さんにってお花を選びに来ていた親子がいたんだ、その子はねすごくお花が好きだったんだと思う」 
その親子は確実に謳華と父のとだ、女の子が花が好きという事実以外。
ある時からその子は来なくなってお父さんが一人で買いに来てたんだけどね。と言葉を繋いだ。
しっかりと記憶が蘇る耳馴染みがあるこの声も当時まだ新人だったであろう彼の声と重なる。

何も返事ができないまま出来上がった花を受け取り代金を支払う。
「ありがとうございました。」
「いいえ、きっとお母さんも喜ぶよ」
さらりと告げられた言葉に顔を上げる。彼は何も言わずに微笑むだばかりだった。

店を出て紙袋の中身を見ると用意されたものは仏花用に二つに分けられたものだった。カバンからスマートフォンを取り出し電話をかける
2コールで「どうした?」という父の声
すぅ…と冬の冷たい空気を吸い込んでから電話越しに伝える。

「あのさ、お母さんにも振袖見せてあげたいんだけど」

次回制作意図 後書き

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