中原中也の埋もれた名作詩を読み直す。その23/屠殺所
「屠殺所」も
未完となった第1詩集に選ばれた作品で
昭和2~3年(1927~1928)の制作(推定)。
未発表詩篇/草稿詩篇(1925年~1928年)にあり
「浮浪」より2作後に続きます。
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屠殺所
屠殺所(とさつじょ)に、
死んでゆく牛はモーと啼(な)いた。
六月の野の土赫(あか)く、
地平に雲が浮いていた。
道は躓(つまず)きそうにわるく、
私はその頃胃を病んでいた。
屠殺所に、
死んでゆく牛はモーと啼いた。
六月の野の土赫く、
地平に雲が浮いていた。
■
詩人は
何かしら困難な状況にあり
体調もよくありません。
後に、僚友安原喜弘がいう「市街戦」を挑んで困憊し
深夜に帰宅しては
ゴールデンバットを立て続けにふかして
酒場での言い合いを反芻する日が
何日も何日も続いて
胃の中はニコチンとアルコールで
おかしくなっていたのでしょうか。
東京を歩きはじめてまだ約3年です。
あれやこれや考え込む底から
逃げてしまった女の笑い声や
あの男の言った言葉が
唐突によみがえったりしたでしょうか。
そんなことはもう忘れてしまったでしょうか
あたかも
凸凹の道をつまずきつまづき
歩いているようでした。
胃の痛みを腹に抱え
ひたすら堪えるしかない時を
やり過ごすためにだけ歩いていました。
ふっと
牛がモーーーッと啼く声が聞えました。
6月の明るい野原
草の間に露出する赤土
はるか向こうの地平に
真っ白な雲がポカンと浮いている
モーッとまた一つ牛が啼きました。
□
詩人が
実在する屠殺所を
見たことがあるかどうかはわかりません。
ではこのシーンは
絵空事(えそらごと)ということになるでしょうか?
いいえ
絵空事ではありません。
詩人はいま
悪路を歩いています。
つまずきそうになりながら
切り込んでくる痛みを堪えて
東京の道を歩いています。
偶然か必然か
偶然といえば偶然
必然といえば必然
詩人の想像の世界に
牛がモーと啼きました。
死にゆく牛の声です。
屠殺所に引かれてゆく牛です。
詩人の想像の世界は
絵空事を描写するものではありません。
答えのない問いに答えを出そうとするのに似た
困難な道を行く詩人の心に
モーという牛の声は
実際に聞こえ
実在した、というべきはずのものです。