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中原中也の埋もれた名作詩を読み直す。その6/春と赤ン坊
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「雲雀」を読み返したからには
「春と赤ン坊」を読まないわけにはいきません。
■
春と赤ン坊
菜の花畑で眠っているのは……
菜の花畑で吹かれているのは……
赤ン坊ではないでしょうか?
いいえ、空で鳴るのは、電線です電線です
ひねもす、空で鳴るのは、あれは電線です
菜の花畑に眠っているのは、赤ン坊ですけど
走ってゆくのは、自転車々々々
向うの道を、走ってゆくのは
薄桃色の、風を切って……
薄桃色の、風を切って
走ってゆくのは菜の花畑や空の白雲
――赤ン坊を畑に置いて
■
昭和10年(1935年)という年。
中原中也は、
精力的に雑誌新聞へ詩を発表します。
前年には、
長男文也が誕生していますから
お父さん振りも
堂に入ったものになってきました。
「文学界」4月号に、
発表した「春と赤ン坊」は、
独特の不思議さのある
作品になりました。
実に味わい深く
味わい尽くせぬ奥行きがあり、
詩を味わうことの愉しみを
知ることになる作品です。
□
穏やかな春の日
ポカポカ陽気の菜の花畑
蜜の香りを運ぶ風に吹かれてさ
きっとあの中では赤ん坊が眠っているのさ
いいえ、空で唸っているのは、電線です
一日中、空で鳴っているのは、電線です
菜の花畑に眠っているのは、赤ん坊ですけどね。
この、いいえについて
あれやこれや、思いめぐらすだけで
けっこう、楽しいのです。
□
ほら、あそこを走ってゆくのは自転車だよ
淡いピンクの風を切って、
向こうの道を、走ってゆくのは
自転車だよ自転車だよ
淡いピンクの風を切って
走ってゆくのは
菜の花畑や空に浮かんだ白い雲
この、視点変換!
ダダではなくて
これは、シュールです!
菜の花畑が、走るんです
白い雲が走るのは、いいですが、
菜の花畑が走るのです!
赤ん坊は
菜の花畑に
置き去りにされたままです。
この赤ん坊は、
長男文也のことでしょうか?
いや、
詩人自身のことでしょうか?
どちらでもあるようですし……
そのあたりを
あれやこれやと考えたりしていると
ふっと、浮かぶものがあったり……
そのこと自体が
楽しくシュールな時間になります。
そういえば
詩人大岡信が言及した「春と赤ン坊」には
二高生(京大生)が「春と赤ン坊」を好み
一高生(東大生)が「湖上」を好んだというエッセイがありましたね。
➡一高生が読んだ中原中也・大岡信の場合
http://nakahara.air-nifty.com/blog/2014/02/post-2e98.html