中原中也の埋もれた名作詩を読み直す。その44/初恋集
「初恋集」は
3節からなる作品で
はじめは
(おまえが花のように)を第3節とした
全4節の詩と考えられていましたが
角川・新編中原中也全集の編集で
解釈が改められました。
第1節は、「すずえ」
第2節は、「むつよ」
第3節は、「終歌」とタイトルがつけられて
いずれも
初恋の思い出の歌です。
■
初恋集
すずえ
それは実際あったことでしょうか
それは実際あったことでしょうか
僕とあなたが嘗(かつ)ては愛した?
ああそんなことが、あったでしょうか。
あなたはその時十四でした
僕はその時十五でした
冬休み、親戚で二人は会って
ほんの一週間、一緒に暮した
ああそんなことがあったでしょうか
あったには、ちがいないけど
どうもほんとと、今は思えぬ
あなたの顔はおぼえているが
あなたはその後遠い国に
お嫁に行ったと僕は聞いた
それを話した男というのは
至極(しごく)普通の顔付していた
それを話した男というのは
至極普通の顔していたよう
子供も二人あるといった
亭主は会社に出てるといった
(一九三五・一・一一)
むつよ
あなたは僕より年が一つ上で
あなたは何かと姉さんぶるのでしたが
実は僕のほうがしっかりしてると
僕は思っていたのでした
ほんに、思えば幼い恋でした
僕が十三で、あなたが十四だった。
その後、あなたは、僕を去ったが
僕は何時まで、あなたを思っていた……
それから暫(しばら)くしてからのこと、
野原に僕の家(うち)の野羊(やぎ)が放してあったのを
あなたは、それが家(うち)のだとしらずに、
それと、暫く遊んでいました
僕は背戸(せど)から、見ていたのでした。
僕がどんなに泣き笑いしたか、
野原の若草に、夕陽が斜めにあたって
それはそれは涙のような、きれいな夕方でそれはあった。
(一九三五・一・一一)
終歌
噛(か)んでやれ。叩いてやれ。
吐(ほ)き出してやれ。
吐き出してやれ!
噛んでやれ。(マシマロやい。)
噛んでやれ。
吐き出してやれ!
(懐かしや。恨めしや。)
今度会ったら、
どうしよか?
噛んでやれ。噛んでやれ。
叩いて、叩いて、
叩いてやれ!
(一九三五・一・一一)
■
「すずえ」のモデルは
未発表の小説「無題(それは彼にとって)」に
登場する「文江」ではないかと
新編中原中也全集は推測しています。
第2節の「むつよ」は
「文江」をモデルにしたものか
ほかの女性であるか
不明ですが
第1節「すずえ」には
あなたはその時十四でした
僕はその時十五でした
――とあり、
第2節「むつよ」には
ほんに、思へば幼い恋でした
僕が十三で、あなたが十四だつた。
――とあることから
異なる女性である可能性があるものの
二つの詩が扱う時間が異なっているだけで
十三の少年(「むつよ」)が
十五(「すずえ」)になっただけで
相手は同じ女性だったとも考えられます。
しかし、それが誰であるかを
特定はできませんし
(おまえは花のように)の女性との関連も
特定はできません。
1935年1月11日という日に
詩人は
なんらかのきっかけで
遠い日の淡い恋の相手を思い出して
次々に詩にしていきました。
(おまえが花のように)の相手をふくめて
その女性は
一人であった可能性もありますが
詩には何人かの女性が登場するようにみえ
そうであっても
不思議なことではありません。
僕にみえだすと僕は大変、
狂気のようになるのだった
――(おまえが花のように)で歌った「狂気」は
「狂喜」でもありましたが
幼い日の「恋」とは
何時でもおまえを小突(こづ)いてみたり
いたづらばっかりするのだったが
――というほかに
何か気の利いたセリフを言えるわけでもなく
相手の肉体を痛めつけるまでに
一人占めしたい欲求のようなもの。
サディスティックなまでに
独占したがる欲望のようなものに
似た恋でしかなかったことを
詩人はいま振り返って
ありありとその場面を思い出すのです。
□
狂喜は狂気に近く、
狂気は狂喜に近く、
「終歌」では
噛んでやれ、叩いてやれ。
吐(ほ)き出してやれ。
吐(ほ)き出してやれ!
ああ
マシュマロのように
やわらかく
可愛いキミよ
今度会ったなら!
今度会えることができたなら!と
帰らぬ日々のことゆえか
その時のありのままを曝け出しています。
□
噛んでやれ というのは
愛咬の領域ともいえる
もうほかになにもできずに
「咬んで」
僕の愛をぶちまけてやる! という表現ですが。
そんな日が戻ってくるわけがないことを
詩人は
絶望的に知っていました。
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