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中原中也の詩「僕と吹雪」に現れる現識
■■■
「芸術論覚え書」に現れた
現識という言葉が
1935年制作の詩「僕と吹雪」に使われていますので
この詩を読んでみることにしましょう。
この詩は
すでに10年ほど前に読んでいて
ブログ「中原中也インナープラネット」で紹介しているものですが
多少の修正を加えているだけです。
現代表記で読みます。
◇
僕と吹雪
自然は、僕という貝に、
花吹雪きを、激しく吹きつけた。
僕は、現識過剰で、
腹上死同然だった。
自然は、僕を、
吹き通してカラカラにした。
僕は、現識の、
形式だけを残した。
僕は、まるで、
論理の亡者。
僕は、既に、
亡者であった!
祈祷(きとう)す、世の親よ、子供をして、呑気(のんき)にあらしめよ
かく慫慂(しょうよう)するは、汝が子供の、性に目覚めること、遅からしめ、それよ、神経質なる者と、なさざらんためなればなり。
(一九三五・一・一一)
◇
「僕と吹雪」は
僕という貝についての考察の詩です。
貝である僕が
自然が放った花吹雪にさらされて
論理の亡者である自分を自覚した日々を
回想しているという詩です。
◇
貝は
「僕と吹雪」制作日に直近の
「僕が知る」(1935年1月9日制作)の
「乾蚫(ほしあわび)」と繋がり、
かなり前(1929年4〜5月制作推定)の
「山羊の歌」中の「夕照」の
「貝の肉」と繋がっています。
◇
大岡昇平が
太平洋戦争に従軍中
戦地で口ずさんだことで有名でもある
「夕照」の中の「貝の肉」と
「僕が知る」の「乾蚫」と
「僕と吹雪」の「僕という貝」と
3作並べて読んでみると
「貝」というメタファーの奥に
新たに見えてくるものがあるかもしれません。
その糸口になりそうなのが
「僕と吹雪」の中の「現識」です。
◇
「僕と吹雪」には
ダダっぽい表現の中に
第2連の現識過剰
第4連の現識と、
2か所で「現識」という詩語が使われ
この聞きなれない言葉はなんだろうと、
多くの人が首を傾げ
立ち往生するに違いのないハードルになっています。
「現識」が
この詩のキーワードになっているのですが
この詩が書かれた1935年1月11日に前後する
1934年12月から1935年3月の間に書かれた
「芸術論覚え書」の次の一節に
その答はあります。
◇
芸術は、認識ではない。
認識とは、元来、現識過剰に堪られなくなって発生したものとも考えられるもので、その認識を整理するのが、学問である。
故に、芸術は、学問では猶更ない。
◇
ここでは芸術の定義が試みられているのですが
詩人は学問と対比して芸術をとらえ
学問が認識を整理するものであるのに対し
芸術は認識とは別のもので、
学問ではなおさらない、と主張しています。
「名辞以前」とか
「身一点に感じる」とか
「エラン・ヴィタール」とかに通じる
芸術論の一つです。
芸術=詩は、学問ではないという主張は
中原中也という詩人の
譲ることのできない聖域みたいなもので
このことで色々な人と議論を戦わせ
時には、取っ組み合いの喧嘩をしたであろうことが想像される
芸術論の根幹でした。
◇
現識は
認識にいたるまでの
認識の前段階をさし、
僕は、現識過剰で、
腹上死同然だった。
――は、摂取した知識が未整理のままで
学問にさえならなかったので
快楽の絶頂で死んでしまった
腹上死と同じというような意味です。
◇
現識は
それ自体、不快なものではなく
終わりのない快楽をともないますから
熱中し耽り
過剰になりがちです。
詩人も
お勉強に耽っていたときがあったのです。
そんな状態であったおのれの過去を
詩人は、
論理の亡者として
裁断するのです。
◇
そして
詩の末尾では
世間の親に向けた
メッセージを送ります。
世の親たちよ
子どもたちを呑気に育てなさい
そうすすめるのは
あなたの子の
性への目覚めを早まらず
そうすれば
神経質な者にはならないからと。
◇
現識過剰で、
腹上死同然だった
詩人は
論理の亡者であった過去、
神経質な者であった自分と
決別しました。
それというのも
僕という貝に
自然が花吹雪を激しく吹きつけたからでした。
◇
今回はここまでです。
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