中原中也の生前発表評論「宮沢賢治全集」を現代新聞表記で読む
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中原中也が
宮沢賢治の「春の修羅」を手に入れたのは
「大正14年の暮であったかその翌年の初めであったか」と
今回読む「宮沢賢治全集」にも記しているように
1925年(大正14年)の暮れか
翌1926年の春でした。
1925年の暮れと言えば
長谷川泰子が小林秀雄の元へ去り
師友、富永太郎が死んだのが
ともに11月のことでした。
翌1926年の正月を
中原中也はどのように迎えていたのか
すでに「春と修羅」を入手し
耽読していたのか
小林秀雄、泰子との「奇怪な三角関係」のさ中でありましたから
厳しい苦境の中にあったほどにしか
想像することができません。
2月に書かれた「むなしさ」に
「春と修羅」の影があるのかもしれないなどと
とんでもない方向に思いは広がります。
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脱線しないように
「宮沢賢治全集」を読みましょう。
今回も
中原中也の詩や散文が
生きている詩人の口ぶりで伝わるように
現代新聞表記で読んでみます。
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【現代新聞表記】
※読み易くするために、洋数字に変換したり、原作にはない改行(行空き)を加えてあります。
宮沢賢治全集
宮沢賢治全集第1回配本が出た。死んだ宮沢は、自分が死ねば全集が出ると、果して予測していたであろうか。
私にはこれら彼の作品が、大正13年頃、つまり「春と修羅」が出た頃に認められなかったということは、むしろ不思議である。私がこの本を初めて知ったのは大正14年の暮であったかその翌年の初めであったか、とまれ寒い頃であった。由来この書は私の愛読書となった。何冊か買って、友人の所へ持って行ったのであった。
彼が認められること余りに遅かったのは、広告不充分のためであろうか。彼が東京に住んでいなかったためであろうか。
詩人として以外に、職業、つまり教職にあったためであろうか。
いわゆる文壇交遊がなかったためであろうか。
それともそれらの事情の取り合せによってであろうか。
多分そのいづれかであり又、いづれかの取り合わせの故でもあろう。
要するに不思議な運命のそれ自体単純にして、それを織成する無限に複雑な因子の離合の間に、今や我々に既に分かったことは、宮沢賢治は死後間もなく認めらるるに至ったということである。
認められること余りに遅かったためには、もっと作品の実質に関係ある、いはば有機的理由ありとする人々があるであろうが、恐らくそれは間違っている。これらの作品が、一般に愛されるべくそれほど難解なものとは思えぬ。
のみならず、ここには、我が民謡の精神は実になみなみとしていて、これは、詩書を手にするほどの人には最も直ちに、感じられる底のものである。
ここに見られる感性は、古来「寒月」だの、「寒鴉」だの、「峯上の松」だのと言ってきた、純粋に我々のものである。
主調色は青であり、あけぼのの空色であり、彼自身の讃うべき語をもってすれば、「鋼青」である。
真昼の光はあっても少しくであり、それもやがて暮れるとしてのことのようであり、ここでは、紅の花も、やがて萎れて黒ずんだ色になるとしてのことである。
それになお、諸君も嫌いではない冗舌は、ここに十分に案配されており、じきじきに抽象語をもってしなければ、かの「意味がない」と言って嘯く、平盤な心情の人達のためには、十分哲学的学術的な言葉もここには見出されるのである。
一般が、あの「お揃い」を喜ぶ程度には甘く、浮誇なるものであることは既に明らかだが、つまり、自分だけ愉しめるものを愉しむほどの性格の明確性は、存外に稀だということであるが、またたまたま性格が明確だと見えるや、それはただ独善的である場合は多いのだが、従って誰かが書の価値を公表しない限り、書は広まらず、殊に「春と修羅」ごとき地方で印刷されたものの場合なおさらそうなのだが、誰一人として今迄その今言う公表をしなかったということは、実もって不思議であり、「運命の悪戯」でしかないのである。
私自身が無名でさえなかったならば、何とかしたでもあったろうけれど、私が話をした知名の人達はどううっかりとしていたものか。私の力説が足りなかったのか。詩といえば、余りに贋物を掴まされすぎた経験からというのでもあるか。
我が現状のうちに身を置いて考える限り、これはまさしく運命のいたずらである。だが一たび俯瞰すれば、未だ我が国において、芸術は、手段として以外に眺められたことはない。従って芸術の話の登場するあらゆる場合、そこには二つの神があって、その一つは芸術の神であり、他の一つは料理屋女将の神ともいうべき神である。――ということではあるまいか。
私は今、この全集の刊行に際して、つまりもう今は宮沢も知られたのであるから、その余りに遅かったことなぞ構うことなく、もっと宮沢の作品そのもののことを言うべきであったとは思っているが、10年来の愛読書が、今急に世の光を浴びては、たまたま入浴して脳貧血を起こすがようなもので、かくは愚痴っぽいとも見える文章を草することが、差し当り気の休まる事なのである。
(1934、11、19)
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歴史的表記の原作は、青空文庫で読めます。
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今回はここまでです。
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