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中原中也の生前発表評論「宮沢賢治の詩」を現代新聞表記で読む/その1

「宮沢賢治の世界」が
「芸術論覚え書」の冒頭部と重なっていることは驚くべきことですし
中原中也の説明をじっくり聞いてみたいところですし
中也研究者の論考がきっと数多存在することでしょうが
それらを追いかける余裕は今ありません。

「宮沢賢治の世界」も
「芸術論覚え書」も
中原中也没後の発表でしたから
新編中原中也全集では未発表評論に分類しています。

一方、生前に
宮沢賢治に関して中也が発表した評論は
「宮沢賢治全集刊行に際して」
「宮沢賢治全集」
「宮沢賢治の詩」という3本があり
こちらを読んでおくのが先決という理由もあります。

「芸術論覚え書」「宮沢賢治の世界」と読んできたのですから
今回は
昭和10年(1935年)発表の
「宮沢賢治の詩」を読むのが流れになります。

【現代新聞表記】
※読み易くするために、原作にはない改行(行空き)などを加えてあります。

宮沢賢治の詩

 彼は幸福に書き付けました、とにかく印象の生滅するままに自分の命が経験したことのその何の部分をだってこぼしてはならないとばかり。

それには概念を出来るだけ遠ざけて、なるべく生の印象、新鮮な現識を、それが頭に浮かぶままを、――つまり書いている時その時の命の流れをも、むげに退けてはならないのでした。

 彼は想起される印象を、刻々新しい概念に、翻訳しつつあったのです。

彼にとって印象というものは、あるいは現識というものは、勘考さるべきものでも翫味さるべきものでもない、そんなことをしてはいられないほど、現識は現識のままで、惚れぼれとさせるものであったのです。それで彼は、その現識を、出来るだけ直接に表白出来さえすればよかったのです。

 要するに彼の精神は、感性の新鮮に泣いたのですし、いよいよ泣こうとしたのです。つまり彼自身の成句をもってすれば、『聖しののめ』に泣いたのです。

 そしてその気質としては、動物よりも植物を、夏よりも冬を愛し、――『鋼青』を『苹果』を、午前のみそれを愛したのです。

歴史的表記の原作は
青空文庫で読むことができます。

今回はここまでにします。

最後まで読んでくれてありがとう!

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