中原中也の埋もれた名作詩を読み直す。その40/(なんにも書かなかったら)
(なんにも書かなかったら)は
第1節末尾に
(一九三四・一二・二九)の日付を持ち
「草稿詩篇1933―1936」の中では
1934年制作の作品の最終にあります。
この年に書かれた
道化調詩篇群のうちでも
最後の作品ということになります。
年も押し迫り
1934年という年も残すところ3日です。
つい最近印刷を終えた
第一詩集「山羊の歌」の一般販売が
この日にはじまりました。
詩人は
その仕事を振り返ります。
■
(なんにも書かなかったら)
なんにも書かなかったら
みんな書いたことになった
覚悟を定めてみれば、
此の世は平明なものだった
夕陽に向って、
野原に立っていた。
まぶしくなると、
また歩み出した。
何をくよくよ、
川端やなぎ、だ……
土手の柳を、
見て暮らせ、よだ
(一九三四・一二・二九)
2
開いて、いるのは、
あれは、花かよ?
何の、花か、よ?
薔薇(ばら)の、花じゃろ。
しんなり、開いて、
こちらを、向いてる。
蜂だとて、いぬ、
小暗い、小庭に。
ああ、さば、薔薇(そうび)よ、
物を、云ってよ、
物をし、云えば、
答えよう、もの。
答えたらさて、
もっと、開(さ)こうか?
答えても、なお、
ジット、そのまま?
3
鏡の、ような、澄んだ、心で、
私も、ありたい、ものです、な。
鏡の、ように、澄んだ、心で、
私も、ありたい、ものです、な。
鏡は、まっしろ、斜(はす)から、見ると、
鏡は、底なし、まむきに、見ると。
鏡、ましろで、私をおどかし、
鏡、底なく、私を、うつす。
私を、おどかし、私を、浄め、
私を、うつして、私を、和ます。
鏡、よいもの、机の、上に、
一つし、あれば、心、和ます。
ああわれ、一と日、鏡に、向い、
唾、吐いたれや、さっぱり、したよ。
唾、吐いたれあ、さっぱり、したよ、
何か、すまない、気持も、したが。
鏡、許せよ、悪気は、ないぞ、
ちょいと、いたずら、してみたサァ。
■
わき目一つしないで
突っ走ってきた詩人に
少し余裕ができたのでしょうか。
苦労して
やっと刊行に漕ぎ着けた詩集を
手にとって
パラパラめくりながら
ふつふつと沸き立ってくる思いを
詩の形で表白します。
□
なんにも書かなかったら
みんな書いたことになった
覚悟を定めてみれば、
此の世は平明なものだった
書き出しは
そぎ落とせるものはそぎ落とし
肩の力を抜いて
率直な気持ちが出たものでしょうか。
詩人はこの時、
夕陽に向って、
野原に立っていた。
まぶしくなると、
また歩み出した。
――のでした。
□
まるで
西部劇の主人公のように
腰にぶら下げたガンに手をあてがい
いまにも
引き金を引こうとするかのように
ポーズをとろうとして
思いとどまり……
思いとどまれば
夕陽がまぶしくて
きびすを返して
また歩きはじめます。
(このあたりは筆者の勝手な想像が
オーバーに広がっただけですから悪しからず。)
□
すると
口をついて出るのは
何をくよくよ、
川端やなぎ、だ……
土手の柳を、
見て暮らせ、よだ
――という東雲節(しののめぶし)の一節です。
♪何をくよくよく川端柳(かわばたやなぎ)
♪水の流れをみて暮らせ
明治時代の流行歌として
各地で歌われ
もっと古い時代
江戸時代あたりからある
都々逸(どどいつ)ともいわれる
この歌の言葉は
繰り返し口ずさんでいると
不思議に
楽な気持ちになってくるものがあります。
石川さゆりや越路吹雪も
歌っていますね。
一度、聴いてみる価値ありです。
ここに東海林太郎(しょうじ・たろう)の東雲節を貼っておきます。
→https://www.youtube.com/watch?v=DFdtAuI2Tao
詩人も
この癒し効果のようなものを
この歌の言葉に感じて
落ち込んだときには
口ずさむことがあったのでしょうか。
ふいに
この歌が出てきたのですが
水の流れをみて暮らせ
と、歌うべきところを
土手の柳を見て暮らせとしました。
□
blowin’ in the wind
風に吹かれて、です!
let it be かもしれません!
ままよ、です。
ドンマイ!ドンマイ!
気楽に行こうぜという心境で
詩人は
詩集刊行を果たした
気負いを押さえて
だ……
よだ
――と一歩引いて
道化の位置で
わが身を振り返ったのです。