現代新聞表記で「芸術論覚え書」を読む<8>技巧論は名辞以後の世界
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第14段落から第19段落までを
現代新聞表記で読みましょう。
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一、技巧論というものはほとんど不可能である。何故なら、技巧とは一々の場合に当たって作者自身の関心内にあることで、ことに芸術の場合には名辞以前の世界での作業であり、技巧論、すなわち論となったときから名辞以後の世界に属するところから、技巧論というものはせいぜい制作意向の抽象表情を捉えてそれの属性を述べること以上には本来出ることは出来ないからだ。つまり、便宜的にしか述べることが出来ない。しかも述べられたことから利益を得るのは、述べた人自身がそれと非常に相似的芸術家に役立つだけである。
一、1作品中でのデータ(細部)とデータは、理想的に言えば絶対に類推的に結合されていてはならない。何故ならば、類推というものは、先に言うように「面白いから面白い領域」にもともとあるものではないから、例えば詩では語が語を生み、行が行を生まなければならない。すなわち、類推はそれが十分に行われない場合の補助手段である。繰り返せば、類推とは、名辞と名辞との間にとり行われる一つの作用の名前である。すなわち生活側に属する作用である。
一、作品の客観性は、人為的に獲得出来るものではない。それは、名辞以前の世界、すなわち「面白いから面白い領域」でその面白さが明確であることと同時に存在するところのものである。こうして作品の客観性は作品の動機の中に必然として約束されてあるものであるから、科学知識の有無などに直接関連のあるものではない。
一、根本的にはただ一つの態度しかない。すなわち作者が「面白いから面白い」ことをそのまま現したいという態度である。そのために、外観的に言って様々な手法というものがあるが、それであってもそれは近頃、一般に考えられているほど数多くあるのは邪道である。それらの多くは欧州大戦の疲弊が一時的に案出したものに過ぎず、芸術本来の要求に発したよりも芸術的スランプの救済要求に発したものと考えるべき理由がある、もっともこれは手短に言って理想論的見解でありすぎるかも知れない。
一、ロマンチシスムとレアリスムとは対立するわけはない。概観すると、批評精神のなおざりにされた時代はとかくロマンチックと言われる傾向が比較的顕著であった。こんな具合だから、ロマンチシスムといいレアリスムというのは作品の色合い、傾向などの主要な属性の指示に過ぎない。
一、しばしば言われる意味で、芸術には「思想が必要」などというのは意義がない。「面白いから面白い」ことはすでに意向的なことである。その上、思想を持ち込むなどとは野蛮人がありったけの首飾りを着けるようなものだ。イリュージョンと共にない何事も、芸術には無用である。
(角川書店「新編中原中也全集 第4巻 評論・小説 本文篇」より。)
※「現代新聞表記」とは、原作の歴史的仮名遣い、歴史的表記を現代の新聞や雑誌の表記基準に拠って書き改めたもので、現代仮名遣い、現代送り仮名、常用漢字の使用、非常用漢字の書き換え、文語の口語化、接続詞や副詞のひらがな化、句読点の適宜追加・削除――などを行い、中学校2年生くらいの言語力で読めるように、平易で分かりやすい文章に整理し直したものです。
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ここへ来て、1段落は1段落で書かれ
短かく区切られます。
各段落を1テーマに絞り
次々にテーマ別のアフォリズムを披歴しています。
第13段落でヤマを越えたかといえば
そんな単純なことではないようです。
むしろ、1段落を総論的に構成するよりも
詳論としての重要な扱いを意図したようです。
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第14段落は、技巧論。
芸術に技巧論は不要。
というより、不可能であることを、短い記述の中に展開します。
技巧論は、そもそも名辞以後の世界。
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第15段落は、作品というデータについて。
データを細部と呼んでいます。
そのデータ=細部は、類推的に結合されてはならない。
類推は、「面白いから面白い領域」にあるものではないから。
詩では語が語を生み、行が行を生まなければならない。
類推はそれが十分に行われない場合の補助手段である。
類推とは、名辞と名辞との間にとり行われる一つの作用の名前である。
すなわち生活側に属する作用である。
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第16段落は、作品の客観性について。
名辞以前の世界、
すなわち「面白いから面白い領域」でその面白さが明確であることと
同時に存在するところのものである。
――と、やや回りくどい、かな。
面白さが明確であることと
同時に存在するところのもの。
名辞以前の世界が
面白いから面白い世界であり
面白さが明確、自明である時に
同時に存在するのが客観性。
その客観性は
作品の動機の中にすでにあるもの。
科学性とか、科学的知識とかに
直接、関係するものではない。
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第17段落は、芸術家、詩人の態度。
いきなり、態度について書いているけど
詩人の態度についてでしょう。
「面白いから面白い」ことをそのまま現したいという態度。
そこから、わざわざ踏み外すものではない。
邪道に行くことはない。
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第18段落は、
ロマンチシスムとレアリスムとは対立しない。
対立するわけがない。
ロマンチシスムとレアリスムとかは
作品の色合い、傾向などの主要な属性の指示に過ぎない。
主要な属性の指示は、
特徴くらいでよかったね。
ロマンチシスムとレアリスムは
作品の特徴を指しているに過ぎない。
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第19段落は、芸術と思想。
芸術には「思想が必要」などというのは意義がない。
――と断言します。
「面白いから面白い」ことはすでに意向的なことである。
その上、思想を持ち込むなどとは
野蛮人がありったけの首飾りを着けるようなものだ。
イリュージョンと共にない何事も、芸術には無用である。
このあたりは、異論のある向きもあることでしょうが
「面白いから面白い」世界
名辞以前の世界には
無用でした。
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途中ですが、今回はここまで。