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中原中也の埋もれた名作詩を読み直す その2/閑寂


閑 寂

なんにも訪(おとな)うことのない、
私の心は閑寂だ。

  それは日曜日の渡り廊下、
  ――みんなは野原へ行っちゃった。

板は冷たい光沢(つや)をもち、
小鳥は庭に啼いている。

  締めの足りない水道の、
  蛇口の滴(しずく)は、つと光り!

土は薔薇色、空には雲雀
空はきれいな四月です。

  なんにも訪うことのない、
  私の心は閑寂だ。

「閑寂」は
昭和10年4月ころの作と推定される作品。

日曜日の学校の渡り廊下に
一人取り残される生徒が主人公です。

中学生でしょうか
小学生でしょうか。

中学生ならば
落第前の山口中学の生徒でしょうか
落第して転校した立命館中学の生徒でしょうか。
それとも、小学生の時のことでしょうか
その思い出でしょうか。

ほかの生徒たちは
みんな野原へ行っちゃって
流し場の
締め忘れられた蛇口から落ちる水滴が
輝いているのを一人で見ています。
渡り廊下は冷たそうな光沢(つや)を放ち
校庭では雀が鳴いている

土は薔薇色
空にはひばり
4月の空のなんときれいなこと!

訪れる人はだれもいません。
人ばかりではなく、
何も私の心を邪魔しない
閑寂の時間です。

薔薇色の土というのは
深紅のバラの黒味がかった色を思わせ
雨を吸った豊饒な土のイメージが
見事に捉えられていますね

この薔薇色が
詩人の心の閑寂を
映しているように思えてなりません

この閑寂の時間に
詩人は
ひとりぼっちでありながら
小さな宝島を見つけました。

この閑寂は、
「汚れっちまった悲しみに……」の
「倦怠」にも繋がっている
中原中也独特の
大きな大きなテーマの一つです。

いかがでしたか?
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