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中原中也の埋もれた名作詩を読み直す。その33/早春散歩


青空をボーっと見ていると、飛行機雲が現れる。飛行機雲といっても、ジェット機の排気ガスかと心の中で思うそばから、綺麗なもんだなあと感じている。


早春散歩

空は晴れてても、建物には蔭(かげ)があるよ、
春、早春は心なびかせ、
それがまるで薄絹(うすぎぬ)ででもあるように
ハンケチででもあるように
我等の心を引千切(ひきちぎ)り
きれぎれにして風に散らせる

私はもう、まるで過去がなかったかのように
少なくとも通っている人達の手前そうであるかの如(ごと)くに感じ、
風の中を吹き過ぎる
異国人のような眼眸(まなざし)をして、
確固たるものの如く、
また隙間風(すきまかぜ)にも消え去るものの如く

そうしてこの淋しい心を抱いて、
今年もまた春を迎えるものであることを
ゆるやかにも、茲(ここ)に春は立返ったのであることを
土の上の日射しをみながらつめたい風に吹かれながら
土手の上を歩きながら、遠くの空を見やりながら
僕は思う、思うことにも慣れきって僕は思う……

■■■

空は晴れてても、建物には蔭があるよ、
――とはじまる「早春散歩」は、
冬が去り
ようやく春めいた季節の
ある晴れた日の昼下がりでしょうか
強い風が
心待ちにしていた春の訪れを喜ぶ気持ちを
薄絹かハンカチかを吹き散らすかのように
こっぱみじんにして吹いている
そのことが幾分喜びであるかのような
早春の情景を描いているようで
すでに
詩人の抱いている感懐を
1行でほのめかします。

私はもう、まるで過去がなかつたかのやうに
と、ほんとうのところは
いろいろな出来事を経験した詩人なのに
何ものもなかったか
喜びも悲しみも吹き飛ばす風の中を
吹き過ぎていく

詩人が吹き過ぎていく! のです。

異国人の眼差しして
確固として
隙間風にさえ吹かれて消えてしまうもののように

春であるゆえに
詩人の心に巣くっている淋しさは消えやらず
今年も春を迎えて
ゆるやかに
春が訪れたのだということを
土手を歩きながら
遠くの空を眺めながら
ぼくは思い
そう思うことにも慣れてしまっています。

特定の何それという事象を超えて
春先の「ものうい感情」を歌っていますが
弟の死を歌った
「死別の翌日」の呼吸や声調が流れ込んでいると読み取る
詩人中村稔のような読みもあります。

最後まで読んでくれてありがとう!

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