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中原中也の埋もれた名作詩を読み直す。その12/いちじくの葉(いちじくの、葉が夕空に)


落日中に現れた黒雲。

「いちじくの葉」は、
同じタイトルの作品が二つあります。
1930年作(推定)は、
「いちじくの、葉が夕空にくろぐろと」ではじまり、
1933年(昭和8年)作は、
「夏の午前よ、いちじくの葉よ」ではじまり、
両作品は対照的です。

「早大ノート」のは、
夕方のいちじくであり、
「草稿詩篇」のは、
昼間のいちじくであり、
いっぽうは、
シルエットのいちじくであり、
いっぽうは、
陽をあびて眠たげのいちじくであり……

今回読む「早大ノート」の「いちじくの葉」は、
夕方の空に、
黒々として、
風に揺れていて
葉と葉の間にぽっかり空が大きく現れて、
美しい
前歯が1本欠けた女性のように
姿勢よく
立ち尽くしている
いちじくです。

いちじくの葉

いちじくの、葉が夕空にくろぐろと、
風に吹かれて
隙間(すきま)より、空あらわれる
美しい、前歯一本欠け落ちた
おみなのように、姿勢よく
ゆうべの空に、立ちつくす

――わたくしは、がっかりとして
わたしの過去の ごちゃごちゃと
積みかさなった思い出の
ほごすすべなく、いらだって、
やがては、頭の重みの現在感に
身を托(たく)し、心も托し、

なにもかも、いわぬこととし、
このゆうべ、ふきすぐる風に頸(くび)さらし、
夕空に、くろぐろはためく
いちじくの、木末(こずえ) みあげて、
なにものか、知らぬものへの
愛情のかぎりをつくす。

美しい、前歯一本欠け落ちた
をみなのやうに、姿勢よく

この2行が
中也らしい!

「米子」の
肺病やみで、腓(ひ)は細かった女性にも通じます。

前歯一本欠け落ちた
というフレーズの前後に
美しい、姿勢よく、という語句を配し、
完全無敵の美しさではなく
背筋の通って勢いのある
女性をいちじくの姿に重ねるのです。

シルエット状の葉は
大型の人の手の形をしているに違いないのですが
そういう形容には走らず
全体をとらえて、
姿勢のよい女性が
茫然と立っている風に見ます。

軽快な気分なのではなく
私は
がっかりして
過去のごちゃごちゃ積み重なった思い出を
一つひとつほどくこともできず、
苛立って、
仕舞いには、
重い頭をどうすることもしないで
身を任せ、心も任せます。

なにも言わないことにして
この夕べ、
吹きすぎる風に首をさらして
夕空に、
黒々とはためいている
いちじくの梢を見上げて
なんだかわからないが
見知らぬものへ
一種畏敬の念に似た
愛情の気持を抱いているのです。

なにごとか
不吉なものなのか
おとなしく
聞き従っておきたいものを
いちじくの葉に感じたのでしょうか。

はたはた はたはたと
「在りし日の歌」集中の「曇天」の

ある朝 僕は 空の 中に、
黒い 旗が はためくを 見た、
――と歌う旗へと連なってゆく
空への祈りなのでしょうか。


中也君です。最後まで読んでくれてありがとう!

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