中原中也の埋もれた名作詩を読み直す。その3/残暑
残 暑
畳の上に、寝ころぼう、
蝿はブンブン 唸(うな)ってる
畳ももはや 黄色くなったと
今朝がた 誰かが云っていたっけ
それやこれやと とりとめもなく
僕の頭に 記憶は浮かび
浮かぶがままに 浮かべているうち
いつしか 僕は眠っていたのだ
覚めたのは 夕方ちかく
まだ”かなかな”は 啼いてたけれど
樹々の梢は 陽を受けてたけど、
僕は庭木に 打水やった
打水が、樹々の下枝の葉の尖(さき)に
光っているのをいつまでも、僕は見ていた
※原文の「かなかな」につけられた傍点は、” ”に変えました。
□
「残暑」は、
「在りし日の歌」の第35番詩です。
「思い出」に続く配置です。
初出は、
「婦人公論」昭和11年(1936)9月号。
中原中也の女性誌デビュー作品です。
1936年は、やがて長男文也の死にあう年ですが
そんなことを
詩人はまったく知りません。
女性の読者を
幾分か意識していることが
感じられるでしょうか。
畳が黄ばんできた、
と言ったのは
妻・孝子でしょうか。
□
残暑厳しい昼下がり
詩人は所在無く
畳の上に寝転んで
蝿がうなっているのを聞いていて
今日の朝
畳が黄ばんできたね
そろそろ替え時かしら
なんて言っていたのを
ぼんやり思い出しています。
それやこれやと
とりとめもなく
思い出したりしているうちに
眠ってしまった。
目覚めたのは夕方ちかくで
カナカナは鳴いており
木々は陽を浴びており
ぼくは庭木に水をまいた。
まいた水が
木の枝々に
溜まって光っているのを
いつまでもいつまでも
ぼくは眺めていた。
……
□
午睡をむさぼる
平和な時間を歌っているように見えても
ここに、詩人は
爆弾をしかけているのです。
違うよ違うよ
僕は
葉末の水滴が美しいことばかりに
感激しているわけじゃないのさ。
そんなものをぼーーっと見ている自分が
なんだか悲しくてね
居ても立っても居られないのですよ。
小さな幸せを
じっと噛みしめながら
詩人の心は
ぼーーっと
遠くの未来を眺めていました。