向上心がなくなることが怖い話/孤独を感じた話
【写真:北海道・千歳市】2019年6月、支笏湖を訪れたときの。温泉良かったなあ。
こんばんは。
今日のアレコレ
今日は11時50分頃に家を出て、新宿駅周辺、銀座駅周辺、東京駅周辺、日本橋駅周辺、京橋駅周辺を散歩してきた。主要な地が一体どんな場所なのかを、この目で確かめたかったのである。というわけで今日はひたすら歩いていた。
なるほど、今日行った場所に関して感じたことは、こんな感じだ。
新宿:人が多くて何でもある。良くも悪くもごちゃごちゃしている。遊びにきた人が多い。
東京:駅や街並みは洗練されており綺麗だが、駅に入るための(駅の)出口は超絶分かりづらい。スーツ姿の人がまあまあいた。
銀座:イメージ通り、高級ブランドの店が沢山あるし駅からしてオシャレ。心なしか、歩いている人々の服装も洗練されているような。
京橋~日本橋:今日行った中では街並みが一番好きかもしれない。高級過ぎず低俗過ぎず、道は広めでオシャレ。通りの名前も何だか可愛い。
そんな感じで、今日は色んな場所を歩いたのだが、これは以下のモヤモヤとの闘いの軌跡でもある。
向上心がなくなることが怖い話
人生に対する向上心(←という言葉だけでは言い表せないかもしれない)が消えることが怖いのだ。例えば「あれやりたい」などの単純なる欲求、「こうなりたい」などの自分を高めたい気持ち、「これ素敵」などの感情の揺れ動きが、鈍っていくことが怖い。
こういった心がなくなっていくと、「何のために生きるんだ?」という話になってきてしまう。そしてそれは、一番辛い気がする。
なぜこれを感じているのかというと、社会人になって1カ月経って、そろそろ「今は忙しいから仕方ない」とサボってきたことなどを再開しないといけない、と思い始めてきたからである。例えばSchooとか、図書館に行って本を借りるとか、新しいアニメを見始めるとか、そういったことを再開しないとな、と。でも再開しようにも、まだ行動に移せていないから、こんな風に思い始めたのだ。
まだ1カ月だし、まだ良いのではないか…と思われるかもしれないが、そうやってズルズルとやっていると、多分永遠に再開するときは訪れないかもしれない。社会人生活は今後何十年と続いていくのだから、どこかで再開しないと。じゃないと気づいたときには、何も行動できなくなっているかもしれないし、人生に対して無になってしまうかもしれない。それは怖い。
孤独を感じた話
東京での緊急事態宣言も、オンライン化も、全て大歓迎だと思っていた。人通りが少なくなること、電車が空くことが良いと思っていた。人の多い場所はただひたすらに嫌だと、そう思っていた。
でも今日街を歩いていて、初めて思った。「街に活気がなくて寂しい」と。
閉まっているショッピングモール、閉まっている飲食店、人通りのない通り、空いている電車…どれも、寂しいなと思ってしまったのだ。そしてそこを歩く私は、何だか孤独な気分になって、ちょっとどんよりしてしまったのだ。
やはり結論は「依存先を増やしたい」
なぜこんな風にモヤモヤしているのかというと、昨日ツイッターのフォロワーの方とお会いしたことや、今日友人と電話する予定があることに関連して、私がかなり依存的であるように感じたからなのだ。つまり、「このために頑張る」みたいな感じになっている。心の中で、それらの存在が大きくなりすぎているのだ。そしてこれが行き過ぎると心の健康によろしくないことは、私も知っている。
だからやはり、依存先を増やすことが必要なのだと思う。そのために、新しいコンテンツに触れていくことが重要だ。でもその時、新しいコンテンツに触れる体力がなくて、今触れているコンテンツにズルズルと依存したままだったらまずい。そしてそうなる原因は「向上心がなくなること」であり、前述の「向上心がなくなることが怖い話」に戻るのである。
私は人生を豊かに楽しく生きたいので、このように考えたのだ。そしてとりあえず今日は、行ったことのない場所を探検してみた。
ではまた。明日も素敵な一日になりますように。
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