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ネパール Ⅰ

3月4日

成田T1
ビーマンバングラデシュ航空。緑と赤のロゴが気に入って選んだ。

搭乗の列に並ぶと、サフランライスや味付けしたバスマティ米を思わせる独特の匂い、馴染みの無い顔立ちや聞こえてくる言葉が、旅の始まりの高揚感を加速させる。

フライト時間は6時間14分。ダッカで乗り継ぐ。

機内食の味は普通。鶏肉の煮込み餡かけは美味しかったが、サラダとケーキとパンは水分が無くパサパサ。コーヒーは薄くて不味かった。

軽食:キャベツとマヨネーズのサンドイッチ、紅茶マフィン

隣の席に座った2人がとてもフレンドリーで、ほとんど寝ず映画も観ず、6時間少々をあっという間に過ごすくらい話が弾んだ。

ネパール出身のJさんは、17歳の時に1人で日本に来て日本の大学を卒業、現在は静岡のホテルでマネージャーとして仕事をしている。英語も日本語も普通に話せる。今回は5年ぶりにカトマンズに住む家族と会うため、ネパールに帰るという。おすすめの音楽を聞いたり、彼が旅した日本各地の写真やお兄さんの結婚式の様子を見せてくれたりした。バイト経験も豊富で、サッポロのビール工場、ユニクロ、ルイヴィトンやバーバリー、バーなど、話題が尽きない。

もう一人は、小学校まで日本で生まれ育ち、中学高校をバングラデシュで過ごしたLさん。家族は現在ダッカに住んでいて、2年ぶりの帰省となる。機械工学を専攻する同い年(大学4年生)で、春からは大学院に進む。その後も日本で就職して住み続けたいと考えているが、ご両親は日本には住みたくないらしい。バングラデシュにある日本企業で働くことも考えたけれど、選択肢が少ないという。

お互いの家族の話、今回の行先のおすすめ情報、各国の社会情勢や発展の話など話すうちにダッカの空港に到着。写真を撮って別れた。

トイレ以外何もない閑散とした空港で荷物検査を済ませ、すぐ搭乗。

カトマンズに行くJさんとは乗り継ぎ後の便も同じ。隣に座りたかったが、満席のため席の融通がきかなかった。

マヨソースハンバーガーと甘いブルグル的なスイーツ、激甘チョコヌガーバー

今度のお隣さんも良い人だった。東京の赤羽近くで仕事をしていて、今回は休みをとってネパールに帰省するというご夫婦。

入国審査の列で、一人旅の日本人女性と会う。海外旅行は43カ国目だそう。ネパールにははじめて訪れる。偶然にも泊まるホテルが同じだったので、一緒にタクシーで向かうことに。

空港で入国審査、両替、SIMカード購入を済ませる。

Jさんは、飛行機を降りた後の手続き中もずっと付き添ってくれた。Jさんとご両親との5年ぶりの再会を見届ける。Jさんのお父さんがタクシー運転手と話をつけ、ホテルまでRS700でお願いしてくれた。お世話になりっぱなしだったJさんとはここでお別れ。またネパールか静岡かどこかで会いたいな。

15分ほどで宿 Flying yak Katmandu に到着。タクシーに乗っている間、運転手のお兄さんと会話するも、英語の癖が強すぎてあまり会話にならず。こちらが話すことも殆ど伝わらない。とにかく自分のタクシーにまた乗ってほしいことだけは伝わってきた。

Flying Yak Kathmandu

20時半頃
宿にチェックイン。優しい雰囲気の若いお兄さんが、「ごめん今外でご飯食べてて遅くなった」と言いながらやってきて、諸々の説明をしてくれた。
6人部屋のドミトリーで、マレーシアから来た若い夫婦がいた。3週間ネパールに滞在していて、ポカラやチトワンにも行ったという。それぞれのバスのおすすめの席や乗り方を教えてくれた。会社の旅行で日本にも何度か来たことがあるそう。

21時半過ぎ
一旦荷物を置いて街へ。夜だからか、モロッコ・マラケシュの市場ほど客引きが強くなく、落ち着いた感じ。何周か歩いて雰囲気と道の構造を掴む。レストランは殆ど閉まり始めていて、コンビニ的なお店といくつかの手工芸品やアウトドアショップ、ファストフード店は開いている。3歩歩けばTシャツ屋かアウトドアショップがある。

地球の歩き方に載っていた、バックパッカーに人気のファラフェル屋”chicken n falafel” へ。

Falafel wrap Rs290
トマト、レタス、きゅうり、アボカト、紫玉ねぎ、バジル、ファラフェル、チリソース(かなり辛い)

ファラフェル

シンプルな生地の中にぎゅうぎゅうに詰まった旨みが、長旅で疲れた身体に沁み込んでいく。


3月5日

6:30 起床

カフェで今日の予定を軽く調べてから街を歩くつもりで宿を出ると、早速トレッキング会社のおじさんに捕まった。オーナーが日本語を話せるという理由でいきなり電話を繋がれるが、カフェに行くからあとでねと言って何とか振り切る。親切さは素直に嬉しいけど、会話の最後にお金を要求してきたり、頼んでいないツアーを強要してきたりすると残念な気持ちになる。この手の葛藤はどの国でも直面する。おしゃべりだけなら良いんだけど。

"ネパールのスタバ” こと Himalayan Java Coffeeで espresso con panaを飲む。お客さんは私だけだった。

朝の街

ダルバール広場を目指して歩く。早朝はまだ開いていないお店が多く、静かなのがまた良い。家の窓から生活音や会話が聞こえてきたりする。

街角のあちこちに、小さいお寺のような、お祈りする像と蝋燭、鐘がある空間がある。人びとは通勤・通学・買い物などの通りがかりにお祈りしているみたいだ。ヒンドゥー教なのか仏教なのか、見た目だけだと分からない。

街の匂いは薄いが、風と砂埃がひどく、咳込む人や痰を吐きながら歩いている人が多い。
街が起き始めると、スラックスの制服やジャージを着た中高生くらいの子供たちがちらほら歩き始める。

市場の準備が始まる
小さいストゥーパがあちこちに
スパイス・お茶専門店

Asan chowk (朝市のエリア) 
道端でよく見かけるのは大根や青菜、苺。干した魚や豆腐も売っていて、通りかかるとかなり生臭い。

9時過ぎ
ダルバール広場近くの屋台で甘いもの5種類くらい、指差しで買う。
シリアのお菓子と見た目が似ているものがあったが、味と食感は全然違った。

日本人女性が経営している、手工芸品のお店Friendly exportへ。
スカーフとポストカードを購入。

偽物アウトドアショップで、NorthFaceを主張するハイキング用パンツとTevaを語るサンダルを買う。

ダルバール広場

12時過ぎ
宿の隣にあるトレッキングツアー会社で、ポカラでのトレッキングの相談をする。担当者のおじさんは誠実な雰囲気の人で、3日後にはカトマンズに戻っていたいが、ダンプスにも行きたいという若干無茶な私の希望にも根気強く付き合ってくれた。ダンプスくらいならガイドは要らない、お金を無駄に払わせたくはないと言ってくれて、カトマンズからポカラまでの往復バスを予約してくれた。サランコットを強くお勧めされたので、行先に追加。

もう一つの候補だったナガルコットに行く時、またここに来てくれたら色々教えるよと言ってくれた。スタッフの一人がバス乗り場まで歩いて案内してくれた。

14時過ぎ
ネパールに何度も通っている日本人写真家・登山家の方のinstagramで見つけたモモ(ネパールの定番料理、蒸し餃子/水餃子)のお店へ。

Old Everest Momo center
どローカルな食堂で面白かった。チケット前払い制。パクチー、ヨーグルト系の酸味、胡椒たっぷりの黄色っぽいスープがとにかく美味しく、パクチーが唯一苦手な食べ物である私でも美味しいと思えるくらいの絶品だった。お皿に残ったスープに見える胡椒の粒の量が異常だった。テーブルに置いてある水のボトルを直飲みしているの見て、さすがに水は飲まないようにした。

瞑想やヨガで使うチベットボウル、お香などを買って宿に戻る。

18時頃
パシュパティナート寺院(世界遺産のヒンドゥー教寺院)の夜の儀式が18時過ぎにあるので、向かう。
外国人だけ入場料がかかる(あるある)。入口付近で声を掛けてきたおじさんが、入場の仕組みを説明してくれた。そのまま寺院の歴史や儀式のことを説明してくれて、押しは強くないし、色々解説を聞いて学んだ方が面白そうだと純粋に思ったので、ガイドをお願いすることにした。公式な認証を受けたガイドであることを示すカードも見せてくれた(本当かは不明)。値段は最後に私が払いたい額を決めてくれれば良いという。

以下おじさんの解説メモ
・オレンジの布を身に纏った人はholy men/womenで、社会のどこにも属さず、このパシュパティナートや他のお寺に滞在し、托鉢しながら生活している。もうすぐ一年に一度の、ヒンドゥー教徒にとってメッカ巡礼のように大事な日があるので、それに向けてインドやネパール中から僧侶が集まったり寺院内のライトアップが準備されたりしている。祝日の日はお寺に入るための交通渋滞が空港まで続くらしい。
・僧侶の中には、このパシュパティナートを目指し裸足で右手を挙げながら歩いてくる人もいるそう。メインのお寺の境内にはヒンドゥー教徒しか入れず、彼らは靴や靴下、革製品を身につけてはいけない。
・Holy menの中にもランクがあり、オレンジ色の布を身に付けた人はよくいるが、より上の階級になると黒い服を纏い、人の肉を食べるのが義務(神聖なこととされる)らしい。

・川の傍で亡くなった人を燃やしていて、24時間ずっとここで行われている。彼らの中にはカーストがあり、亡くなった人を燃やす仕事をするには一番カーストが上位の人の仕事。インドでは逆。
・ヒンドゥー教徒も仏教徒も同じやり方、同じ場所で燃やしている。僧侶たちだけお墓があるが、一般の人は何もないので、燃やしたあとの灰を川に流し、その川はガンジスに通じている。川は濃い灰色に濁っていた。
・燃やす為に払う金額よって燃やす場所の装飾に差がある。多く払った家族の所にはオレンジの花がたくさん飾られている。政治家と一般の人では燃やす場所が異なり、政治家はかつて王族が使用していた場所で燃やされる。
・ここでは、人が亡くなるとできるだけ早く完全に燃やさなければならないとされている。早く燃え尽きると、その人は良い行いをしてきたことを意味すると考えられている。
・人は5つの要素で構成されている(火、水、空気、空、大地)。人を燃やすのに有機物のみを使っているので、燃やすと全てがこの5要素に還元され、次の人生につながるとされる。ただし、僧侶は既に人間の頂点に達している神聖な存在であるので、輪廻転生する必要がないから燃やさない。
・家族が亡くなった後の13日間は、塩や肉を一切食べず白い服を着続けなければならない。両親が亡くなった場合はそれを一年間続け、お祝い事もしない。最近は皆仕事などを理由にフレキシブルになってきているが、伝統的にはそうしていた。

・イスラム教徒が侵攻してきたとき、寺院内にある像の顔の部分を削りとられた。今も削られた跡がそのまま残っている。
・西洋建築とヒンドゥー教の建築を融合した建物は、争いではなく平和を願って建てられた。とある日本人僧侶の考え方からきているらしい。

とても面白く勉強になるガイドだった。ガイドのおじさんがいなかったら、ここまでしっかり見て周れなかった(どこをどう歩いて良いかわからなかった)と思ったので、しっかりお金を払った。日本人はみんなガイドを断るから、聞いてくれたのは私が初めてだという。(皆にそう言ってるかもしれない)

寺院を後にし歩いていると、日暮里でカレー屋さんをやっていたというおじさんに声を掛けられた。今はネパールで生活しており、別の仕事を始めているという。

行きと同じタクシーの運転手さんが待っていてくれると言っていたので、指定の場所に戻る。予定の1時間を30分くらい過ぎていたが待っていてくれた。英語あまり話さないし無口でが、優しい笑顔でとても良い人。もし必要な時はまた連絡してねと言ってくれた。

20時半頃
タクシーを降り、夕食を食べに食堂へ。初のダルバート。
店内がガラ空きで心配だったが、味は美味しかった。

Vege Dhal bhat

まだ全部は食べ終わらないうちにおかわりを持ってきてくれる。どれも美味しいので、結果的に2倍食べたことに。Bhat(細長い米、少し酸味ある味付け)が特に美味しく、ふっくらした炊き加減が絶妙。dahi(ヨーグルト)も癖が無く口直しに調度良い。ネパール料理は辛くないと地元の人は言うが、今のところどれも結構辛い。チリの辛さというよりは胡椒が強い系の辛さ。

食後に甘いものが食べたかったが、夜も遅くお店が閉まり始めていたのでチベット料理屋へ(?)。トゥクパ(酸味系スープの麺)を注文。スープが熱々で出汁とスパイスが沁みる。

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