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ベトナム人の前でアジカンを歌った日

先日の日曜日、ベトナム人と一緒にカラオケをした。

私はほとんど海外旅行もしたことなければ海外の友達もいないひとり鎖国日本人だが、そんな機会に恵まれた。

先日の日曜日は姉とアジカンのライブに行っていた。アジカンとはロックバンドASIAN KUNG-FU GENERATIONの略で鯵の缶詰ではない。

私と姉は生粋のアジカンファンでライブがあればせっせと通っている。
その日のライブは「ファン感謝祭2024」というライブでいつもとは一味違ったライブだった。

https://www.akglive.com/buntai2024/

事前にアジカンの膨大な曲の中で好きな曲をファンが投票し、それを参考にアジカンがセットリストを作ってライブで演奏してくれる。

ファンにとってはたまらなく、本当に素晴らしいライブだった。

ダブルアンコールを経てライブは終了し、わたしと姉はアジカンについて熱く語り合っていた。
まだまだ話し足りないということで夕飯がてらどこかのお店に入ろうという流れになった。

ライブがあった横浜の関内でお店を探してみるとベトナム料理屋さんがあるという。

早速尋ねてみると、ビルの2階の重そうな茶色のドアに店名が書いてあり、営業はしているようだった。入ろうとしたのだが、おそらく隣のスナックからガンガンにカラオケの音が流れていて、音漏れレベルではない爆音だったので姉と目配せをする。

どうする‥?と躊躇しつつも、えいとドアを開ける。すると、カラオケのの音が一段と大きく聞こえた。

爆音のカラオケを垂れ流していたのは足を踏み入れようとしていたベトナム料理屋さんだった。
「あ、うるさいのこっちだわ、オワタ」と後悔したのだが、音がうるさすぎて姉と相談もできなく好奇心もあり入店を決めた。

カラオケの音量はテーブル越しに会話ができないくらい爆音で、流れている曲はベトナムの曲らしかった。場違い感を猛烈に感じつつも、だんだん「ここ在日ベトナム人のコミュニティーになっているところ」だと察しがつく。

しかし何もせず退店するのは日本人の名折れではといらぬ使命感を背負い、「せっかくだし」「もう入っちゃったし」ということでメニューを開けてみることにした。怪しい宗教とかにはまるきっかけになる常套句である。

料理はベトナム人のコミュニティーの場になっているだけあり、本格的でカエルの炒め物とか鶏肝の揚げ物とかマンゴーの炒め物とか日本人には聞き慣れない料理が多かった。
それらも挑戦してみたかったのだが、ひよった挙句、私たちは「マンゴーのサラダ」「揚げ豆腐」「牛肉焼きそば」を注文した。お酒はハイネケン。振り返ってもひよっているのがよくわかる。

ちなみに注文するときはカラオケの音がうるさすぎるので指差しとボディランゲージで行うこととなる。店員さんがベトナム人だから(そもそも店員さんは日本語は流暢)とかではなく音がうるさすぎるからである。

料理を待っている間、お店にいた10人くらいのベトナム人のカラオケを聞いていたのだが、みんな歌唱力が高かった。曲調は『川の流れのように』のような昭和歌謡的な歌が多く、爆音ではあったがなんとなく懐かしくなる曲ばかりで心地良い。爆音ではあるが。

しばらくすると料理が運ばれてきて、爆音カラオケの中ひよった結果の料理をわたしと姉は美味しくいただいていた。どれも美味しくボリュームもあって満足である。一応書き残しておくと全部チリソース味だった。多分日本は全部醤油味みたいなものなんだと思う。

お酒もすすみ、爆音も慣れてきたとき1人のベトナム人が「日本人ですか?」と話しかけてきた。

その頃になると流石に場違いを感じていて早めにお暇しようと思っていたのだが、まさかコミニケーションをとってくれるとは。

日本人ですよと返すと「ぜひ、日本の曲を歌ってください!」とマイクを渡された。

必死に否定していたのだが押し切られ、姉と何を歌えばいいかと話し合い、スピッツの『チェリー』を歌ってみた。

カラオケに大事なのは何においても、「その場の人が知ってる曲」が何においても大事だ。それを外したとしても、「その場の人が好きそうな曲」を歌った方がいい。

それを加味し、有名で曲調がゆったりめのスピッツにしたのだが、ベトナム人たちの反応は芳しくなかった。ベトナム人はチェリーは知らなかった。

よく考えたら今日本に来た方は今流行っている曲の方が知っているのだろう。ちょっと前の曲と言える『チェリー』は違ったのかもしれない。しかし曲調がゆったりめだったから反応としては10段階中3くらいであったと思う。ハズしてはいるが許容範囲ということにしたい。

反応3のカラオケを披露した私たちにベトナム人は優しく、2曲め、3曲めとリクストしてきた。『海の声』などを一緒に歌ったのだが、ここで何を思ったのか姉が『リライト』を歌おうと言い始めた。

『リライト』とはアジカンの代表曲であるアニメ『鋼の錬金術師』の主題歌にもなった曲である。もちろん好きだが、ロック調のちょっと暗い曲である。加えて歌詞が意味不明である。
例としてフレーズを引用する。

「くだらない超幻想」
「存在の証明が他にない」
「去年のカレンダー日付がない」
「所詮ただ凡庸知って泣いて」

アジアンカンフージェネレーション リライトから

小学生でこの曲を知った私は、歌詞の意味を必死で解釈しようとした。無垢な小学生なりに悪戦苦闘した結果、歌詞は理解できなかった。ちなみに今でもわからない。

とは言っても、姉と私はこの曲に何度も救われてきたし、アジカンの中でも代名詞と言える曲だから思い入れもあるし、何より大好きな曲である。

もう一度言うが、カラオケにおいて大事なことは「その場の人が知っている曲」を歌うことである。

スピッツを知らず『海の声』を知っていたベトナム人たちの傾向がわからなすぎるが、ともかくアジカンを知っているわけがない。

「いやアジカンではないよ」と数回拒否する私を押し切り、姉はカラオケに『リライト』を入れた。私は思う。こいつ酔っ払ってやがる‥!

私たちは全力で歌った。
アジカンのために。
私たちの青春のために。
そしてベトナム人のために。

歌い終わったとき場は白けていた。ベトナム人ウケ評価10段階で考えれば0である。

しかも、彼らは私たちが歌った日本の曲で日本語の勉強をしたかったみたいなのだが、先ほど引用した歌詞を見てほしい。日本人でも解釈できない歌詞、勉強ができるはずがない。

気まずい雰囲気の中、ベトナム人がある曲をリクエストしてくれた。

あいみょんだった。

ベトナム人が知ってる曲は、あいみょんだった。
『マリーゴールド』を私たちは歌った。ブレークンハートした私たちにも寄り添い、ベトナム人も知っている素晴らしい曲だった。

結局、5曲くらい歌った私たちはお酌上手なベトナム人に乗せられてハイネケンを3本くらい飲んでお店を後にした。
なんならLINE交換もした。とても楽しかった。

私はあそこでアジカンを選曲した姉が愛おしい。
ライブで高揚した想いをぶつけたかったのか、ベトナムにもアジカンを布教したかったのか真意は不明だが、どちらにせよ可愛い。

そしてやはりアジカンも最高である。アジカンのライブがなければベトナム人の方々とカラオケを共にする機会はなかったし、ライブが最高でなかったら、『リライト』は歌われなかった。

アジカンと姉のおかげでとても楽しい日になった。ありがとうアジカン、姉。そしてあの場に居合わせたベトナムの方々も本当にありがとう。本当に楽しかったです。

ここまで読んでくれた方、ありがとうございます。ベトナム料理店の店主が私たちが歌っている様子を撮っていたので、場違い日本人を何かで見かけたら私です。そっと見なかったことにしてください。

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