東日本自転車旅 17日目 波板海岸ー気仙沼 76km
めちゃくちゃよく寝れた。野宿史上一番寝れたんじゃないかな。
海の向こうの山から日の出も見えて最高の目覚め。6時前にはテントを干して、軽く朝ごはん食べて読書していると昨日のおばあちゃんがやってきた。どうやら朝ごはんを作って持ってきてくれたらしい。なんと。
朝パンを食べてしまったので、スープだけいただくことに。マツモという海藻入りのスープ。これがめちゃくちゃ美味い。マツモっておそらく初めて食べたけど、お土産に買って帰りたいくらい美味かった。おばあちゃんありがとう。ご飯はお昼食べることにしよう。
おばあちゃんの家は役所で働いていた息子が仕事で精神的に病んでしまい、休職中で大変らしい。
帰り支度を済ませて坂を登っていくとちょうどおばあちゃんが畑仕事をしていた。
挨拶すると、お茶淹れてあげるから寄っていきなとのこと。
断る理由もないし、お邪魔するとミツバと海苔を和えたやつとヨーグルトもいただいてしまった。息子さんは役所の職員で復興関係の仕事もしていたけど上司とうまく行かずに気を病んで休職してしまっているらしい。合わないと思ったらすぐに仕事を変えた方がいいと言っていた。生きるっていうのはいろんな大きな波や風に流されていかないと大変だと言っていた。そんなことない世の中が一番いいはずなんだけどな。考えてみれば資本主義で今みたいな労働体系が確立されたのって、本格的には戦後からと考えても100年も歴史がないわけで、今の時点でもまだ仕組み自体は試行錯誤の段階なのだろう。正解もなければ全員が納得するシステムがそんなにすぐに出来上がるはずもない。しかも戦後は敗戦国というハンデの中いかに日本をマンパワーで発展させていくか、そこには技術の発達がなんの疑いもなしに目標とされてきた。今はやれ労働時間がとか、SDGsがとか考えることが多いし、そういったものを全て同じ次元で共存させるのにも限界がある。方向性がいまいち定まってない。みんな生活するため、趣味のため、旅行するため、老後のため、いろいろ理由があれどお金をもらうことが1番の目的で、おそらく日本のためとか社会のためとかっていう気持ちは少ないだろう。この考えが正しいかは別として、まとまり、意識ってところがバラバラすぎる気がする。自分だけのために働くという考えがなくなったらもっと楽なんだろうけど。
そのあとは気仙沼へ。気仙沼はとくにどこにも寄る予定なかったけど、通りがかりに気になる喫茶店「茶色い小瓶」というお店を見つけて入ってみる。
80とは思えない激渋でイケメンなマスター。あんまりマスターって呼ぶことはないけどこの人はマスターと呼んでしまう何かがある。
無償で地元の人に空手を教えたり、震災の際は被災地でコーヒーを提供したらそれがNHKを通じて海外にも放送されて、各国からコーヒー豆が送られてきたり。いろいろなお話を聞かせてもらった。午前中考えていたことの答えの一つが見れたような気がした。自分の行動に損得を考えず動けるようになったらもっと楽しくいろんなことから解放されるんじゃないかな。
気仙沼はスーパー銭湯も夜までやってるファミレスも少なく、この日はホテルへ行こうとも思ったけど結局公園で野宿。
昼飯 500円
喫茶店 750円
晩飯 700円
合計 1950円
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