
ショートショートショート 富豪に符合する事
世界中に窓を売った男
昭和という謎の時代があった。
畳の居間に床の間、押し入れがあり土間もあった。
住民はサザエさんと呼ばれていました(?)
昭和もバブルと云う怪しげな流行り病で浮かれ出していた頃、風通しの良すぎる住居も、次第に洋風の佇まいが増えてきた。この期に外国から売り込みがあったものに、瀟洒に飾られた窓があった。洋館は憧れとなった。私は羊羹の方が好きだったが。
そこへ現れたのはアメリカ人の B・G と呼ばれた男。バッドガイの象徴的男であった。
ところがご商売はとても上手で、「何も瀟洒な窓を売らなくても良いんだ、ちょっと見栄えがすれば。一つ売って何万円を儲けようて考えてはいけないよ。」「世界中には80億人も居るんだから、一人から一円儲けても一瞬で億万長者だ」
彼は実行したね。ただ、彼は欲張らなかった。窓は作らず、窓は売らなかった。世界中の住宅メーカーに窓の作り方を教え、インストールすることを教えた。一軒の家でも複数の窓は必要だ。この窓”sは虫は入るし、盗人も入り易いものであったが、自分で開発する手間を惜しんだ日本のメーカーはこぞって手を出した。B・Gは濡れ手に粟の如く莫大な富を手に入れた。世界有数の富豪に成り上がった。
幸せの林檎を売った男
同じ時期に林檎を売り出した男がいた。S・J である。ソフトにジョブをする男であった。
りんごは自分の責任で生産をした。虫食いリンゴは破棄し、いかに美味しいものを出荷するかに力を注いだ。この姿勢は決してソフトではなかった。
林檎を出荷する箱にも工夫を凝らし、集荷業者や配送販売にまで気を配り、取扱説明書を手にした人、はなるほどとおいしいリンゴができた訳がわかった。この林檎を食べると知識がみなぎり、仕事も意欲的になる栄養が含まれていた。まるで禁断の果実のように。そこでこの林檎園のマークは一口齧ったりんごのマークになった。
彼にも失敗はあった。ピピンという青リンゴを作ってしまった。青リンゴにも愛好家はいたのでしょうが、日本では仏壇の供物でしかなかった。その後の彼は失敗にめげずNEXTに目を向けて、堅牢な箱を作り虫から林檎を守り、これを手に入れた人々から、熱狂的な信者を獲得した。取り分け創作的な人や芸術家などから、好んで食されている。新たな発想を得たり、発見出来たりする人生に幸せを感じることが出来る。林檎を齧るながら思うことである。S・Jに感謝!
しかしこの稀有な天才はもういない。合掌
閑話休題
世界の富を牛耳る一握りの輩は何を考えているのだろうか。
陰謀論で囁かれている、流行り病でのワクチン禍で儲けてたとか。私はそうは思わないが。もう始末に困るだけのお金はあるのだから。多分、病を流行らせて、ワクチンで治してやったぞ、と俗世間を騒がして喜んでいる姿は垣間見えるが。
もしお騒がせている現象が戦争の高みの見物であったなら、その所業は鬼畜にも勝る。ゲームの世界に近い御仁であれば、戦争ゲームと現実の戦争と区別がつかなくなっているかも知れない。どこかの大統領や首相が戦争犯罪人として告発されているが、武器を生産して富を得ている武器商人や、戦争を仕掛け高みの見物を楽しんでいる輩も同罪ではないか。小学校では喧嘩をしてはいけない、困った人を見たら助けてあげましょうと言っている。校長先生からもお説教をして頂こう。