争い事の強迫観念を乗り越えよう

移り行く時代(とき)の流れ 
変わり行く人の心
この地球(星)の何処かで又
争いが始まる

夏川りみさんが歌う「愛のチカラ(作詞ミヤギマモル氏 作曲ジョニー宜野湾氏)」の歌い出しです。
夏川さんの歌声は心を震えさせます。 

歌の最後に「平和の詩 人々の心に 届け愛のうた」と締め括られますが魂の叫びの様です。YouTube(夏川りみ 愛のチカラで検索)でいつも見ています。)

現代の争いごとの強迫観念は、「権威主義国家への警戒」と「表に見えない経済搾取への恐怖」にその素因を見たい。

権威主義国家とは共産主義国家への恐れを、歪曲する喧伝に寄るところがお大きいのではないか。
共産主義は理論として、財産の私有を否定し、生産手段・生産物などすべての財産を国が共有することによって貧富の差のない社会を実現しようとする思想で合理性を持つのは、単純な算数の計算で出てくる答えでしょう。

資本を社会の共有財産にすることで、人々が協力して運営する社会を目指す形は、残念ながら現状は如何なる地域でも、その理想は実現されていません。
理想と現実の乖離は何処から生まれてくるのか?

この体制で生み出される現在の富は、社会全体で分配すには、不充分な段階であり、体制としては不満を抑えるため、強権的にならざるを得ない。一方不満の抑制への妥協から、私有財産を許容することになり、理論との乖離現象が起きている。

社会が国政を評価するとき、とりわけ富の配分の公正を謳う体制の下では、資本主義との競争観念が引き合いに出される。引き合いに出される西側諸国の上澄の富は、甚だしく派手で、表に出ない社会の格差は隠されている。
所謂経済の生産物は、同一に条件(人口、生産手段等)であれば体制が違っても大差はない筈です。理想社会を作るには、時間が必要なことを民衆と共有できなければならない。

理想と現実との乖離を隠すために、国家の優位性を示す「まやかし」として軍事力の誇示に走るのは、為政者の常套手段かもしれない。(優位性の誤謬)ここに、紛争の種が生じる。

取り分け隣国(中華人民共和国)に対しては、折角築いてきた富を浪費することなく、貴国内の平安を維持するためにも、紛争は回避しなければならないこと伝えたい。
中国の古い学問である儒教では、人の生きる姿勢を説く「五常(五徳)」を説いている。仁・義・礼・智・信からなる「五常」のなかで仁は最も重要であるとされています。如何なる国でも「仁」とは“人を愛すること”です。そのことを日本も習いました。お互い「仁」とは何かを共通課題として「和」を求めていきませんか。

毛主席が革命を起こした時、時代は封建国家から脱却しなければならない必然がありました。毛沢東語録に記された民衆への働きかけは、素晴らしい功績です。今、対外政策としての軍事力の誇示は意味をなしません。ほんの少ない経験ですが、とても素敵な中国人の方々を知っています。教養にあふれた方でした。権力闘争は少なからずあるのは、何処の体制でも同じ事と思いますが、革命の時期から成熟期に移る現在、時間をかけて、「和」と「仁」を持って発展して欲しいところです。中国の「仁」を持つ素晴らし人達がいる限り、何時の日か理想社会を具現できると期待しています。

一方日本の現状は、格差社会の見本の様な状況です。
これは世界規模での格差社会で、世界の超富裕層1%が世界の資産の40%を独占しているという。何故か。身近で見れば、日本の有力企業の株主の外国資本がなんと多い事か(投資による搾取)。為替の変動を仕掛ける(金融市場によるマネーゲームの仕掛け)。政治的支配(防衛費の支出は何の為。局地的紛争は武器商人の莫大な利益構造)。グローバル資本主義が自動集金システムを稼働させているからではないかと見る。ターゲットを生かさず殺さずに。ここには紛争の種ではなく、元凶があります。

対抗処置は鎖国しかないかもしれない。日本のグローバル化が良いなんて誰が言ったのか。この数十年の動きなので、気がつく事は多くある。
鎖国は金融鎖国に絞って実施すれば良い。
日本の大地と水を生かし、瑞穂の国を豊かにして、起ち上がろう。国内を養う産業力は充分にあるはずです。
鎖国の解除は和を以て話(わ)を行う。平和の詩を受け止める国同士で行えば良い。
訳のわからない事を云って今日は疲れた。人生の次の中継地七合目を目指して、もう少し遠吠えは続けたい。



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