日本学術会議の先生方へ
若気の至りで喧嘩をしてしまった事がありました。
割と青臭いところがあり、友人が絡まれていたりするとつい参戦してしまいます。多少体力に自信があり、負けん気も強かったので。
そんな時、仲裁に入ってくれるのは学校の先生でした。
子供の頃の社会は極めて狭く、長くトラブルが続く事はありません。
年長の先輩が間に入ってくれて、顔を立て仲良くしろよって収まるわけです。
喧嘩の力関係に一方的な差がある場合は、相手が降伏し「紛争」は収まる事があります。言い換えて武力で屈服を勝ち取ること。
これが国家の紛争では、侵略、隷属を産む事になる。多くの悲惨な傷跡を残して。
紛争の仲裁に入ってくれるのは誰ですか。武力の行使に至る前に誰かが何が正義かを智して欲しいものです。
その役割は国を代表する最高知能の集団、各国学術会議の先生ではありませんか。学術会議の存在意義に「平和的復興、人類社会の福祉に貢献し、世界の学界と提携して学術の進歩に寄与することを使命として日本学術会議法に基づいて設立される」とあります。ここに理性による紛争の解決の可能性が示されています。政治はこの指針を受けて紛争収束の手続きをとる機関にしかすぎない。今の政治に社会正義を掲げる能力はないようだから。
今、日本学術会議の動きを見ると、ロ・ウ紛争やイスラエル・パレスチナ
紛争など多くの人命が失われている重大事を見ない振りをしているようだ。国内においても何やら国のおかしな動きが見られても、「触らぬ神に祟り無し」ですか。
日常の生活に追われている者は、せいぜい狼の「遠吠え」の如き、声を
あげることしか出来ない。えらい先生方よ「正義が何か」を発信してほしい。日本の叡智なのだから。
もう一面心配な事が見受けられます。政府の「会員任命問題」に翻弄される様子が見られること。
もし学術会議に「平和とは何か」に取り組まれ、まさか政府の意向に沿う方向が示される訳がないと思うが、学術的に平和の理念が定義されては、政府の行動の瑕疵が浮き彫りになってしまうだろう。
狡猾な政治家は「会員任命問題」の議論をふっかけ、人類の最重要課題に触れさせない様にしている。
人智を結集する組織が学術会議であれば、平和の希求が最終最大のテーマでは無いでしょうか。
「戦争と平和」をトルストイに丸投げせづに日本の最高知能を結実して欲しところです。
(寅さんの友達より)