完全オレ流障害観50「宗教と障害」
久々にこのシリーズ更新。
結論から言いますと先月、数十年以上入っていた宗教を脱会しました。
まず、その宗教に恨みはありません。
そして一生懸命祈っている会員の人にも恨みはありません。
むしろ今後も頑張って、と思っています。
ただ、オレ自身が宗教では変われなかったのです。
また、中途半端にやるのは嫌だし、祈ることで自分の障害とかが治ることがなかったので最終的にこういう結論を出しました。
祈ったことによる成功体験も何一つありません。
逆に祈りをサボったことによる天罰も何一つありませんでした。
まあこれからもしかしたらあるのかもしれませんが。
一番のきっかけは、ある会員の方から「貴方の発達障害は祈りを一生懸命やればきっと軽減されます」的な感じのことを言われたのがかなり辛かったというのが、この結果を出した大きな部分でした。
個人的な意見ですが、発達障害当事者として言わせてもらいます。
障害や病気というのはそんな簡単なものでは決してありません。
簡単に治ったりやわらいだりするほど甘いものではありません。
勿論祈りを継続して活力になった人、祈ったからかなんだか自分の障害を克服できている気がするという人は、それで良いと思います。
オレの場合は祈らなくても活力を見出だす方法を自分で生み出して、自分でそれなりに対処してここまで生きてきました。
だからこそ思います。
そもそもが宗教たるものは、やらされてやるものではありません。
やりたい人がやればいいですし、やりたくない人は無理をしないことが大事です。
あと自分の障害と向き合うためには自己理解と自己分析です。
オレの場合は祈りではありません。
これ以上祈り続けることに意味は無いなと判断したということでした。
宗教が全てだと思ったことは一度もありません。
オレは親が会員だから生まれたときから会員にさせられていました。
脱会届や祈りに用いる道具等は全部オレが誰にも相談とかせずに自分の判断だけでその宗教の本部に送りました。
親には事後報告という形になり「せめて相談してほしかった」と色々言われてしまいましたが、会員の人、または親に相談したら99%説得されると考えたためオレが全部自分でやめると決めました。
その旨は親には言いました。
両親が嫌だからやめた訳ではありません、オレは両親は心底尊敬しています。
一生懸命お祈りをしている姿も何度も見てますし、それが嫌だと思ったこともありません。
親からは「道具等は父さん母さんが預かってても良いか?せめていつか来る父さん母さんの葬式のときはお祈りしてくれないか?」と言われたので「それは了承する、あくまでもオレは自分が会員であることがこれ以上は辛いんだ」と返し、理解を得ました。
世の中宗教絡みで絶縁する家庭もある中、理解を得られたことは良かったと思います。
これからはとにかく、他にやりたい宗教があるとかでもないので、無宗教でも豊かに生きていければと思いますし家族は大切にしていきます。
また、どの宗教が良いとか悪いとかそういうのはオレは全然わかりませんし、これからもわかろうとする気も特にありません。
宗教と障害や病気を関連づけて語るようなこともこの先無いものと思いますし、そのような助言があったとしても耳を傾けることがあっても頷くことは特にございません。
以上です、ありがとうございました。