完全オレ流障害観13「発達障害を抱えていても漫才はできるのか」
結論から言うと、出来ます。
なぜならオレも出来るから。
そしてオレと組んでた人の中にも実は発達障害の方がいて、その人もオレとちゃんと掛け合いが出来ていたから、まずこういう結論でスタートする。
決して、こういう障害があったらお笑いは無理だよとか言う内容のことは書きませんし、そんな断定はしません、というかできません。
ただハンデとして考えられるのは、発達障害者は知識や興味の偏りが人一倍強かったり、読み書きや言葉を発したり表現する力が弱かったりする人もいる。
それらの特性が漫才をやっていく上でどう影響するのか。
ちょっと箇条書きにしてみる。
・自分が興味や感心のあるネタを作ることにより、聞き手から共感を得られにくい
・コンプライアンスがよくわからないがゆえに、それに反するネタを作ってしまう
・自分が興味のある内容ならネタを覚えやすいが、そうでない内容ならなかなかネタを覚えられない
・読み書きが苦手だから、ネタを書いたり作ること自体が難しい
・話す、聞くことが難しいから、掛け合いが難しい
・アドリブを上手に入れることができない
・相方の発したワードを聞き漏らしてしまう
・ネタが飛んでしまう
・ネタ合わせや本番中に他のことが気になってしまう(公園に誰か来た、ネタ中に観客が新たに入ってきた等)
・長時間のネタ合わせが難しい
・細かいテンポや間の取り方が難しい
・細かい感情の込め方や発音の仕方が難しい
・何が観客にウケるのかを考えるのが難しい
等々。
思い付くものをざっとあげてみたが、漫才に取り組む上でこれらのことをどう乗り越えていくかが鍵となる。
発達障害じゃなくても最初はこれらのことで悩む人も勿論いるが、オレから言わせてもらうと、当事者だからこそこれらのことが起こりがちになる。
決して全ての人に言えることではないかもしれないが、実際にやってみて色々そういうことを強く感じたのだ。
M-1グランプリの1回戦とかにどのくらいいるかちゃんと調べてないからわからないが、発達障害者と健常者のコンビ、発達障害者同士のコンビ、またはそれ以外の障害や病気を抱えるコンビも毎年多数エントリーされているのではないかと思われる。
それらの方々にオレから言えることは大きく3つあるので言わせて頂きたい。
まず1つ目と2つ目はありきたりだが、
・出ることに意味があると思います
・勝ち負けよりも大切なことが必ずあります
そしてあともう1つなのですが、
・自らの障害をネタにするのはやめといた方が良いかもです
よほど共感を誘う技術やわかりやすさが示せれば話は別です。
実際に視覚障害を抱えて漫談でR-1グランプリで優勝するプロの芸人もいますから。
ただ障害という概念自体が笑いにくく、「これ笑って良いのか?」とお客さんは考えてしまうし審査員の方もコンプライアンス的な側面から勝ち進ませて良いかどうかを見るかと思うので、障害をネタにするのはかなりリスクがあるかと思う。
そもそもが精神障害、発達障害って何?と、わからないお客さんや事前知識が薄いお客さんもいるかもしれない。
お笑いの舞台には色々なお客さんがいるから、お客さんがわからないな?って思ってしまったらどれだけその障害という界隈の方や当事者の方に刺さるネタをやっても、刺さらない人は置いてかれてしまうのだ。
オレも組んでいた相方の要望で障害や病気をテーマにした漫才をやったことがあるが、勿論1回戦を突破することは無かった。
ちょっと今回は共感をあまり得られにくそうなテーマにしてしまったが、当事者として考えていることを綴っておきたくて綴らせてもらいました。
以上。