自問自答
未だに思い出す。
2024年5月。
オレは約2年半通った自助会さんから出入り禁止にされた。
「もうお前はうちでは対応できない、二度と来るな」
スタッフからの約4時間の暴言と恫喝。
あの日のことはやはり忘れられない。
そのスタッフが悪いとかオレが悪かったとか、もはやそういう話はここではしない。
オレがなぜその自助会さんの話を未だにしているのか、それはやはりあの自助会さんから全ては始まっている。
今「ウィズ」があるのも、今他県の自助会さんとの出会いがあるのも、全部その出禁とされた自助会さんから始まっているからなんだ。
確かに苦しい出来事だった。
訴えることも一時は考えた。
だがオレは最終的に訴えなかった。
これは逆にチャンスかもしれないと思ったからだ。
他県の自助会さんを探す決意、参加してみる決意、旅をしてみる決意、また自分で自助会立ち上げてみる決意。
全てはここから始まった。
あれから約4ヶ月半の年月が流れた。
あの合宿に参加してなかったらオレのここまでの活動の幅の広がりは無かった。
あれから今現在までで既に出会った当事者の方、専門家の方。
特に当事者の方に関しては人数が数え切れない。
あの合宿に参加してなかったら暴言、恫喝は浴びていなかったかもしれない。
あの自助会さんだけに通い続けていた活動範囲だったかもしれない。
誤解しないで頂きたいのは、言葉は悪くなるが、例えばその自助会はクソだよなとか、そのスタッフはいかれてるよなとか、そういうことをオレと一緒に皆さんに言ってもらいたい訳では無い。
特にそういうことは望んでいない。
ただオレが強く望んでいるのは、オレと同じ思いを他の当事者の方にしてほしくないということだったり、オレのこの話を聞いて何かしら誰かにヒントになるものがあってほしいということ。
だからこの件について発信することはやめないでいようと思っている。
この先だって何が人生の分岐点になるかは正直わからない。
わからないけど、あの5月4日、あの苦しい出来事から間違いなくここまで来れた。
過去を引きずっているオレは確かにここにいる。
それが情けねえな、みっともねえな、いつまでも過去の話ばかりやかましいヤツだな。
そう思う方もいるかもしれない。
だけどあの事柄が無かったら仙台に今月から稼働中の自助会「ウィズ」も無いし、他県の自助会繋がりで出会った今の相方との漫才コンビ「プレミアムベーコン」も無いし、Youtubeで数々あげてるインタビュー動画だってまだ無かったかもしれないんだ。
だからオレはこれからもこの苦い経験は、正直悔しいんだけど、でも大事にしたい。
この話をする度に、確かにオレ自身の人間としての質は下がっていくかもしれない。
けど、誰かに何かしら参考になってくれれば、オレはそれでも良いと思っている。
オレも他者に感情をぶつけるときがある。
コミュニケーションを間違えることもある。
空気が読めないこともある。
でもそれは人間お互い様だ。
ましてや当事者同士なら尚更。
今は5月4日のあの出来事、許してはいないけど恨んでもいない、そういう曖昧な感じ。
正直自分の気持ちは、まだよくわからない。
オレの「自問自答」は、まだまだ続くだろう。