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---------- 素足の女 ---------- ------------ Short Story ------------

 佐山は市役所勤めの公務員。
趣味は車で愛車は4駆、それに歴史探訪と骨董品集めが大好きだ。

なので休日になると4駆のハンドルを握って各地を巡っている。
旅に美味いものにキレイな田舎の空気、運が良ければ骨董品も手に入る。
おかげで30歳を超えたのに、いまだ女房もいない。
でもそれを気にもしていない。

 今回は三連休の初日、はるばる関西までやってきた。
季節は秋の気配だが、まだ冬には時間がある。
道路も凍結するには早いし、紅葉もあるし、関西に行くならいまだと決めてやってきた。

愛知から三重県とつないで走ってきた。
道すがら観光寺院や名も無い神社や廃屋にも寄っては走り寄っては走りの繰り返しだ。
でかい山に囲まれた谷あいのような道をゆるゆると走っている。

奈良県に入ったまでは良かったが、なぜかスマホもナビもさっきから全く使えない。
スマホの4Gどころか3Gすら使えず、あれこれやってみるがダメだ。
理由は分からないが、単に電波のせいだけでもなさそうだ。

「さあて、ここは一体どこか、奈良県内だろうとは思うが」
鬱蒼と茂る原生林のような光景が続いている。
しばらく走るとパッと前のほうが開けた。
道路に面した農家がある。

庭に鹿か、大きな獣の皮が干してある。
皮の後ろからその家の主人なのか、佐山と目が合った。
「すみません、ここは奈良県ですか」
と尋ねた。

主人から返事は無い。
聞えているはずだが、完全に無視されている。
そして主人は干してある獣の皮をいきなり棒切れで叩き始めた。
それも叩き方が尋常ではない。

何か怒りを発散させるように、それこそ思いっきり叩いている。
しばしその主人を見ていたが、佐山をチラッとも見ない。
「何か、変だ、先に行こう」
行こうとすると主人は佐山を見た。

佐山は主人から何か不気味な雰囲気を感じている。
主人の顔も目もどこか人間離れしているのだ。
人間ぽいのだが、顔も動きもどこか人間と違う。
主人の手もやけに長くて毛深く、まるで猿のようだ。

すると農家の中から主人の女房らしき女が、何か手にして出てきた。
これも佐山と目があった。
佐山は頭を下げたが、向こうは反応しない。
佐山に何の興味も無いというより、何か敵意を持っているようにすら思える。

佐山はもう一度場所を聞こうとしたが、やめた。
不愉快という以前に、二人とも人間とは違う生き物のように感じる。
ゆっくり車を出しながらバックミラーを見た。
主人と女房が見えるが、やはり人間とは思えない。

チラッと佐山の目に入った。
「なんだありゃ」
夫婦の尻から尻尾のようなものが垂れていた。
「猿、か、まさか、絶対に違う・・けど」

関西には何度も来ているが、今回はしょっぱなから様子がおかしい。
佐山は何となくだが、もう一つの奈良県に入ったような気がしている。
周りの森は高くそびえ、見上げるとさっきまで青空だったのに、雲が灰色に変わり、それがゆっくりと回っている。

「雲は風に乗って流れるんじゃないのか、何で雲が回るんだ。やっぱりおかしい、早く行こう」
ふとバックミラーを見ると、あの夫婦が追いかけてくるではないか。
それも二本足になったり四本足になったり、やはり猿のような姿で、だ。

佐山はアクセルを踏み込んだ。
まだ追ってくる。
佐山は怖ろしくなったが、しばらく行って道路が二股に別れているところに出ると同時に猿らしき夫婦の姿は消えた。

「あの猿夫婦、ここ辺りが結界だったのかもな。それにしても奇怪な経験だった。この旅、やはりいつもと違う。この先にあるのは・・」
二股の道は幅が同じで舗装もしてある。
だが相変わらずスマホもナビも沈黙したままだ。

こうなるとあとは地図帳だけが頼りだ。
だが地図を見ようにもどこら辺りにいるのか、それすら分からない。
「帰りたいが、あの猿夫婦の家の前を通らなきゃならない。今度会ったらどうなるか、これは前に進むしかないか」
すると佐山の頬にポツッポツッと雨が落ちてきた。

空を見上げると本格的な雨ではなさそうだが、ゆっくりと回っていた雲は濃い灰色になり、それにより黒い雲が混じっている。
灰色の雲と黒い雲が混じり合い、何か模様のようなものになり始めた。
「あの模様 銭型模様といわれる毒蛇のマムシの模様にそっくりじゃないか」

確かにマムシの背中の模様のような銭形をした雲になっている。
「気色の悪い雲だな、何か起きる前兆か、これは用心しなきゃ」
以前、役所の歴史好きがこの辺りの様子について言っていたことを思い出した。

「あの辺りは歴史が永く、数え切れないほどの恨みや悔悟が泥のように重なり、それが空に上がって雲になり蛇にそれもマムシになるんだ」
と真顔で言っていた。
「アホらし」と思ったのだが、なるほどこの雲を見れば、さもありなんか、と佐山は思った。

「この辺りには、永い年月の間に、幾万の人々の恨みや悔悟の念が積り渦巻いているのかもな」
と思っているが、いまはそれどころではない。
「この二股の道、どっちへ行くか」

車を下りて道路の奥を見たが、もちろん見当すらつかない。
ふと見ると、看板らしいものが草に倒れている。
近寄って起こすと標識だ。
「←左 赤絵集落 →右 国道」と記してある。

だが距離は書いてない。
「左へ行けば赤絵集落、右へ行けば国道か」
地図帳を開いたが、赤絵集落なんてどこにも記載されてない。
「よほど小さな集落なんだろうな、赤絵集落で行き止まりかもしれないし・・国道も何号なのか書いてないし、どっちも何キロあるのかさえ分からないし」

どっちの道路も普通車程度は余裕で通れそうな道幅だ。
もっともそれは見える先までのことで、あの奥のカーブを曲がったらどうなっているかはわからない。
しばらく考えた。

時間はちょうど正午。
山だから日暮れが早いが、国道に出ても面白くないし、ぼちぼち走って赤絵集落とやらに行ってみるか、行けそうになけりゃ引き返して国道を目指せばいいし」

佐山は赤絵集落へハンドルを切った。
目先のカーブを曲がったが、まだ道は広い。
左右は鬱蒼とした原生林のような景色が続く。
だが予想通りというか、道幅が少しづつ狭くなってきた。
「まあ、あまり狭くなりゃ引き返せばええわ」

原生林が次々と現れては後ろへゆっくりと流れていく。
道幅が4駆いっぱいになり始めた。
だが道路はコケも生えてなく、枯れ木や枯れ葉が広がってもいない。
明らかに整備がされている証拠だ。

「誰かが通り誰かが管理していることは確かだな、人がいるのだろう」
そのまま行く。
「赤絵集落、何か有るのか何も無いのか、まだまだ先か」
少しスピードを落し、ゆっくりと走る。

道は同じだ。
相変わらず道はキレイで枯れ木も枯れ葉もほとんど溜まっていない。
すると左横に川が見えてきた。
ゴーゴーと激しい水音がするが川面は見えない。

谷はかなり深いようだ。
もちろんガードレールなんか無い。
赤絵集落はまだだ。
メーターを見るとあの二股からおよそ5キロ走っている。

「もう少し行ってみるか」
川の流れる音は相変わらず激しい。
きついカーブを曲がると右が開けてきた。
広いが雑草におおわれた殺風景な景色が広がっている。

何か見えたので車を停めた。
何か変というか、不気味な眺めだ。
広く広がる雑草の中から無数の首のようなものが浮き上がっている。
「なんだこりゃ」

車を停めて見た。
おどろいた。
雑草から浮いている首は無数の石仏の頭だ。
どれだけあるのか、みな苔むし、辺り一帯延々と奥の方まで無数の首が浮かんでいる。

「すげえな、壮観な眺めだ。京都の化野も超えるスゴさじゃないか」
どこまでもどこまでも雑草の波の中に無数の石仏の頭が浮かんでいる。
まるで怪奇ドラマか妖怪映画のひとコマのようだ。
奥を見ると周囲の森とは離れて島のように孤立した小さな森がある。

その中に建物らしきものが見える。
「寺か、行ってみよう」
幅の狭い石畳のような道がある。
建物へ向かう。

小さな森に着いて建物を見た。
さほど大きくはないが、やはり寺だ。
「素足二つ山 巖濤寺」と書かれた板が本堂の階段に立てかけてある。
「『すあしふたつやま がんとうじ』と読むんだろうな、相当に古そうな寺だ」

寺は奥に長く、後ろが庫裡のようだ。
人の気配は無く、無住寺だ。
「掃除もしてあるし、どこからか誰かが手入れに来ているのだろうな。しかし一体どこから」

寺の謂(いわ)れを記したものを探すが見当たらない。
「しかし素足二つ山、てどういう意味だ」
横の小さな建物の壁から屋根に排気塔のようなものが立っている。
「便所か」

入り口に東司(とうす)と書いてある。
東司とは便所のことだ。
こちらは基礎も建屋も新しい。
「新しく建てたのか」

ついでに入ってみる。
男女別のトイレで、水洗だ。
紙もちゃんと置いてある。
「おどろいたな、こんなところで」

ここもキレイに掃除が行き届いている。
「誰もいないし、いた気配も無い。不思議だ」
佐山は本堂に向かった。
木造の階段を上がり、大きな格子戸を開けた。

中はキレイで、荒らされた跡もない。
内陣には高さ一丈(10尺・約3メートル)くらいの木像が祀ってある。
「ふうん、観音菩薩か、古いな、これ」
触ってみた。

「いや、こりゃ、かなりのもんだぞ、4,500年はいってるな」
見事なほどの彫り方だ。
木の朽ち具合も永い年月を感じさせる。
他を見てまわる。

「何もかも年代もんだ。骨董屋にはヨダレが出そうなものばかりだ。それがまた無住なのに全く荒らされてもいない、なんで?」
佐山は逆に用心している。
「ここを管理している人物が一人か何人か、どこかにいるはずだ。うっかりしたことは出来ないぞ、これは・・」

内陣の奥の隅に木箱が置いてあるのに気づいた。
「何となくええものが入っているような気がするな」
そっと近づき箱を見ると薄くなっているが、墨で絵が描いてある。
永い間に墨が薄れたのか、じっと絵を見ておどろいた。

「こりゃマムシの絵じゃないか、背景の雲も・・・さっき見た雲のマムシ模様と同じ絵だ」
佐山の顔が変わった。
「あのマムシの模様の雲も、こことつながっているのか。するとあの農家の猿夫婦もそのつながりか、そうかもな。これは・・・オレはとんでもない場所、いや異界に飛び込んだのかも」

箱には大きな鍵がかかっている。
「鍵かァ」
箱を持ち上げてみた。
「重い」
揺らしてみると、かすかに布がこすれるような音がする。
「どうしよう、中を見たい。それとも箱込み持っていくか」

車に戻って工具箱からハンマーとタガネを取り出し寺に戻った。
山中に大きな金属音が響いた。
鋭い声で鹿が鳴いている。
佐山は人が変わっていた。

「うるせえ、黙ってろ」
金属音がまたした。
三度目の音は少し違った。
「やれやれ外れた。さあ何が現われるかなァ・・・」

そっと蓋を開けた。
木綿のような布でグルグル巻きに巻いてある。
そっと持ち出すとズズッと重たい。
触るとゴツゴツして複雑な形をしているようだ。

「銅か、鉄かもな、まさか金じゃなかろう」
布をめくりはいでいく。
すでに佐山は佐山ではなくなり、目つきも変わっている。
布をはいだ。

一瞬眩しさで目が眩んだ。
「何だこりゃ」
金色の仏像だ。
それも不動明王、全高は50センチくらいか。

「およそ一尺半か、まぶしいような輝きだが、金箔か」
だが持って触った感覚が金箔とは違う。
「まさか金無垢ではあるまいが・・・」
しかし、銅や鉄や真鍮のようなものとは違った感触だ。

佐山もさすがに金ではなかろうと思っているが、ひょっとしたらとも思っている。
とはいえそれを確かめるものは無い。
「持って帰ろう」

佐山は真面目な男だが、罪悪感なんかとっくに吹っ飛んでいた。
布を巻いて箱に戻した。
「他にも色々とありそうだが、まずはこれだけでも車に隠しておこう」
だが欲には勝てない。

佐山は一旦4駆に戻って箱を後席に乗せ、また寺に戻った。
「こうなりや、一つもらうも二つもらうも同じこと、ええい、もうもらえるものはもらっていこう」
片っ端から4駆に積み込んだ。

あれこれ車に積むのに3時間かかった。
「本尊の観音菩薩はさすがに積めなかったが、もうええ、もうええわ、誰か来る前に帰ろう」
車の後ろは寺から持ちだしたもので山盛りになっている。

「しかし、誰も来なかったし、何も起きなかった。良かったけど、やはりおかしい」
どこかに人がいるはずだと思っているが、人が住んでいるようなものは見えない。

 この辺りの山は山体がでかい。
麓ならまだ日中だが、辺りはもう日陰が拡がり夕方の雰囲気だ。
「赤絵集落なんか、もうええ、どうせ限界集落で荒らされたあとだろう」
と思ったが、
「なら、何でこの寺が荒らされず、これだけの物がちゃんとあるのか、やはりおかしい」

もう一度周囲を見渡した。
次に双眼鏡を出して周囲をなめるように見た。
「ありゃ家の残骸か?」
ずっと先の小高い丘の下の森の中に家の残骸らしきものが見えた。

道はわからず、石仏の間を抜けながら残骸らしき跡に向かって歩いた。
「やはり廃屋か、何軒かありそうだ」
家の残骸があちらこちらにあるが、みな潰れている。
潰れた屋根材の下に古くあせたハガキや手紙がいくつか散らばっている。

手にとって見た。
「奈良県●●●●●●赤絵 ・・・・様」
「ははあ、ここか、ここが赤絵集落か、やはり消滅した集落だったんだ」

「瓦礫、廃材の下に何かあるかもしれんが、まだマムシもムカデもおるかもしれんし、もうじき暗くなるし、出直すのが正解だろうな。国道に出てどこかで荷物を整理するのが先だ。連休はまだ二日ある、潰れた廃屋の下を探るのは明日にしよう、まずはあの不動明王像だ」

車に戻ると辺りはもう暗い。
山の夕暮れはまさに釣瓶落とし、あっという間に暗くなる。
何もかも手に入れて安心し、緊張感が薄れたのか、トイレに行きたくなった。

トイレに入った。
辺りはもう暗く、暗い空にはあのマムシ模様の雲が厚くとぐろを巻いていたが佐山には分からない。
トイレの中は真っ暗だ。

「電気は点かんのか」
ライトをポケットから取り出した。
ライトを頼りにズボンを脱いで便器に座った。
誰もいないし暗いのでドアーは開けたままだ。

真っ暗な中で佐山のライトの灯りだけがわずかに動いている。
辺りには佐山の呼吸が聞こえるほどの静寂が広がっている。
「静かだな、こんな静けさは初めてだ」
シンとして虫の音一つ聞こえない。 

すると出入り口のほうで人の気配がした。
佐山はおどろき緊張した。
「エッ、人?」
ヒタッヒタッと佐山のほうへ近づいてくるのがわかる。

佐山は青くなった。
(誰だ、管理人か)
音は確かに人の足音だ。
ヒタッヒタッとゆっくりと近づいてくる。

かすかに甘酸っぱい匂いも流れてきた。
足音とこの匂い、女だ、佐山は思った。
「なんでこんなところに女が・・」
開けているドアーを閉めようとしたが、なぜか金縛りになって足が動かない。
足音は開けたドアーの向こうで止まった。

女の姿は見えない。
でもドアーの向こうから確かに佐山の様子をうかがっている。
間違いなく、そこに女がいる。
「誰ですか」
返事はない。

またヒタッと足音がした。
女は一歩前に出たようだ。
すると黒く長い髪と白い着物が少し見え、左右の足先が見えた。
佐山は足先を見て血の気が引いた。

骨の上に皮を貼り付けたようで、死人のように青白い。
寺の名前を思い出した。
「足二つ山・・・ 」
佐山は震えている。

女は何も言わずにドアーの向こうに立っている。
すると髪の毛がフワ~とドアーを越えて入ってくるのがライトの灯りに浮かんだ。
髪、髪の毛、佐山は恐怖で固まった。

甘酸っぱい匂いが佐山を包み込んだ。
そしてドアーの向こうから恨めしそうな女の声がした。
「 お前はァ わたしの物を 返せ 返せ 」
ドアーの陰からヌル~とその女が顔を出した。

辺りの山々に木霊するような大きな悲鳴が上がった。

 それからおよそ二年が過ぎた夏の初めごろ。
市役所に出入りしている材木屋が佐山の上司だった課長を訪ねてやってきた。
「お忙しいところをどうも・・」

「お、お久しぶりですね、お元気そうで何よりです。して今日は」
「一昨年でしたね、佐山さんが行方不明になったのは」
「はい、それが何か」
周りの者もみな材木屋を見た。

材木屋が言った。
「仕事であの辺りにはよく行くのですが、三日前のことです。いいヒノキが集まったと取引先から知らせがあって奈良県の奥のほうに入ったのです。ちょうど佐山さんが行方不明になったらしい辺りです」

「ほほう、それはまた・・・」
「で、ですね、その帰り道に先方の社長からこう誘われたんです。
『最近開いた霊場が近くにあるんですよ。行ってみませんか、かなり古い霊場で一度は廃寺になっていたのですが、昨年の年明けごろに関東のほうからまだ30歳初めのご主人とその奥さんが夫婦で村役場に来ましてね』

課長も横にいた係長も30歳初めと聞いて膝を乗り出した。
『その夫婦が役場の担当に言ったのです。『赤絵集落も消滅し、権利者もいない。海のように並ぶ石仏だけで観光客を呼べるし、古い話しでも作れば、いずれ信者も出来ます。わたしたち夫婦で必ず再興しますので、「素足二つ山 巖濤寺」の再建と管理を任せてはいただけませんか』と」

「で村役場は」
「寂しい光景で持て余していた役場は願ったり叶ったり。村長も議員も即座に賛成したそうです。それから二人の奮闘が始まり、そのうち地元の者も参加し、寺も募金が集って再建中で、再来年からは県のお勧め観光スポットの一つにもなるそうです」

「それでその30歳の」
「はい、わたしも佐山さんにはよくしてもらいましたからお参りかたがた先方の社長と同道したのです」
課長と係長も周囲の者も手を休めて聞き入っている。

みなが固唾を呑んで黙っている中、材木屋が言った。
「その30歳代の男性、いまはご住職ですが、佐山さんでした」
「まさか、そんな」

「わたしも腰が抜けるくらいおどろきました。しばらくは声も出ませんでした。それに向こうはわたしを見ても、表情も変えずにニコニコしながら話しかけてくれました」
「声は、しゃべり方はどんな」

「まさしく佐山さん、その人でした」
沈黙が続いた。
「何か事故で行方不明になって記憶喪失とか」
「いいえ、ただ、その人は奥さんの家に婿養子で入ったとは聞きました。そして奥さんの名は神山と言い、消滅した赤絵集落の住人の子孫だということでした」

材木屋は袋をポケットから出して言った。
「で、ですね、その神山氏の隙をみてですね、写真を撮ってきました」
ウワーと言うや就業中なのに周りの者がみな集まってきた。
課長と係長が二人で先に見た。

二人は、絶句した。
材木屋が言った。
「これ佐山さんでしょ」
係長が課長に言った。

「た、確かに佐山さんですよ、課長」
課長も同じだ。
「うん、彼だこりゃ、しかし、これは・・似てるだけだし」

すると材木屋が念を押すように続けた。
「佐山さん、学生のころに山登りですべってそのとき中指の先をくじき、第一関節がそのまま内側に少し曲がってたでしょ」
「うん」
「神山氏も中指の第一関節が少し曲がってます」

 三日後の朝早く、佐山の父と母それに妹が二人、役所から課長の他に二人、材木屋とその相手社長、万が一に備えて近くの派出所からも警察官が二人、これだけが「足二つ山 巖濤寺」に現れた。

神山の女房が先に出てきた。
色の白い女房で、足は素足で白い。
神山もニコニコ顔ですぐに出てきた。
「おはようございます。ようおこしで」
二人からは甘酸っぱい匂いが漂っていた。

佐山の母親は神山を見た。
自分が産んだ子だ。
すぐにわかった。
「おまえ」と大泣きしながら神山に抱きついた。
父親も妹も同じだ。

他はみな呆然とした。
しかし抱きつかれた神山は
「こちらはどなた様で」
と困ったような顔で言った。

それを女房は、火を吐くような激しい目で神山を見ていた。
その女房と課長の目が合った。

課長は何か感じたのか、すぐに目をそらした。
空にはマムシ模様の雲がのたうつように回っていた。



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