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地元について考えた時、私は沢山の人に昔も今も育ててもらっていると気づいた話。

最近「なんで地元が好きなん??」と聞かれたから考えた。私にとって地元って言われて思い出すのはあの自然と沢山の近所の人だった。

今から私の地元の話を延々します

私の地区には同級生は私を含め3人と少なかった。今小学生は5人以下だからもう私の地区にはスクールバスは止まらないらしい。子どもが少ないから私が小さいころもいろんな人にかわいがってもらった。

バス停から一人で帰る私の安全を心配して私の帰りの時間を予測して帰り道の畑に出てくれていたおばあちゃん。井戸端会議も私の帰る時間にいつもしてはった。雪が沢山積もって歩道がふさがれていた時に除雪機で歩道を開けてくれてたおじいちゃん。挨拶をしたらいつも褒めてくれるおじさんやおばさんたち。中学・高校生の頃、いつも家出るのぎりぎり過ぎてチャリをぶっ飛ばす姿を見て地区のグランドゴルフ大会でお父さんたちに報告されてた。(笑)おじちゃんたちがあの子にたべさせてやりたいんやとスイカやトウモロコシをわざわざ持ってきてくれた。

となりの家のおにいちゃんが朝多分苦手でおばちゃんが「○○~起きや~!!!」とでっかい声で毎朝叫んでた。近所の年下の子が中学生になって部活を始めた、とか聞くと、○○ちゃんもう中学生になったんかと思った。2つぐらい年上の近所のお兄ちゃんはぶっきらぼうであまりうまくコミュニケーションは取れなかったけれど、先生になるために頑張ってはるらしいと聞く。近所のお姉さんは空港ではたらいておられるとか。オーストラリアに留学に行ってはって帰ってきはったときにもらったお土産のコアラのぬいぐるみはまだ家の玄関に飾ってる。

じいちゃんが入院した時、おばちゃんに声をかけられた。「おじいちゃんどこか具合悪いの?」
入院することは近所の人に心配かけるから自分から言わないようにと言われていた。「なんでわかったんですか?」と聞いたらこう返ってきた。「だってずっと車あるもん。」

おじいちゃんが亡くなった時に畑で野菜を育てる人がおらんくなって、その年の夏、冬は近所の方々からたくさん野菜を持ってきてくださった。おばあちゃんが一人になったからと野菜を持って縁側でばあちゃんと話していた。


小さいころは犬を飼っておられる家のおばちゃんのことを「わんわんのおばちゃん」とか野菜をいただいていたおっちゃんやおばちゃんのことを「すいかのおっちゃん」とか「りんごのおばちゃん」とかおばあちゃんが教えてくれた。おねえちゃんはそれで覚えているし今でもおばあちゃんがその人と会って話したこととか伝える時にそのニックネームで話してくれるけど、私はなにがなんだかわかってない(笑)私は名前を覚えるのはものすごく苦手なのだ。「すいかのおっちゃんがさ~」「えっとそれって○○さんの旦那さん?」「そうそう」みたいな感じ。みんな顔を見たらうちの地区の人やって分かる。新しい人と出会えば、どこかの親戚のかただろうかと思う。

だから、近所の人が亡くなったって書いてる紙が回ってきた時、伝えられた時、毎回本当に心がえぐられる。「でっかいわんわんの家のおじいちゃん」が亡くなった時は今でも忘れない。
幼稚園に行くときにそのおじいちゃんが毎日窓のところにいて、おばあちゃんが挨拶した後に恥ずかしがりながら挨拶したら褒めてくれた。毎日会って話すことが嬉しかった。そのおじちゃんがもう窓際にいないことがものすごく悲しかった。家でお葬式が挙げられていた。自宅から出て車をおばあちゃんと見送った。その時涙が抑えられなかった。となりにいたおばあちゃんに「人の死は順番やからね」と言葉をかけられたことを覚えている。それ以降も畑で帰りを見届けてくれていたおばあちゃんたちや「あの子に食べさせたいんや」と野菜を持ってきてくれたおじいちゃんたちが亡くなっていくたびに私のおばあちゃんの言葉を繰り返す。



込み入った話を小さいころから近所の人にすることはなかった。でもともちゃん○○高校に通ってるんやって、○○大行ったらしいで、と私のことは近所の人は人づてに知っていた。推薦で受かったし勉強で受かってないから全然すごくないのにヒーローのように近所の人みんなに褒めてもらったことを覚えている。私の大学合格にみんなが喜んでくれていた。お父さんたちもそれを嬉しそうに報告していた。教師一家で私も先生になることが夢だったのでいい先生になってや~と応援してもらっていた。

子ども少なすぎるし、地区の新年会でどっか行ったりご飯食べに行ったりすると、隣の家のよくしゃべって遊んでもらったおっちゃんに酔っぱらいながら「○○にずっとおってくれや」と言われていた。当時はどこにおってもいいやんと思っていたけど、そうやって声をかけてくれる人がいることは本当に当たり前じゃないなって思う。


最後に

多分私の地域には休学するって文化はないから休学してるって知ったら多分心配すると思う。家族はみんなにどう説明しているのだろうか。私はいろんな人に見てもらって自然の中ですくすく育ったあの場所や人に納得して「今こんなことしてるねんで!!」「こんなことで悩んでるけど幸せやで!!!」と話せる人でありたいと思う。自分がつくりたい環境が作れるような力が付いて、戻りたいと思ったらいつかは戻りたいと思う。

地元でも、地元じゃなくても、私はいろんな人に育ててもらっているなあと今も、小さいころを振り返っても思う。なんて自分は幸せなんだろうか~!


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