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おしゃれとダサいの境界線

ミニマリスト目指して断捨離していますが、なかなか捗りません。
「まだ着るかも…」が邪魔して、「いる / いらない」の判断ができなくなるんです。
最終的に"おしゃれとダサいの境界線"がわからなくなって、結局のところ自分は"他人からどう思われるか"ベースでしか良し悪しを判断できない人間なんだ、と少し寂しくなった話です。

なぜ"おしゃれ"をするか

私は”おしゃれ好き”だが、決して”洋服好き”ではないです。
全身ブランドで固めて「このドレープ感が最高で…」 と語れる豊富な知識があるわけではないし、そういうのを小っ恥ずかしく感じるような人間です。

学生の頃は"モテたい"から、社会人になってからは”身だしなみに気を使いたい”から、服を買っては消費を繰り返しています。
"自己実現のためにおしゃれをする"というよりは、"承認欲求を満たすためにおしゃれをする"人間なのかもしれません。

洋服に興味を持ったきっかけ

中学生の頃まで服に一切興味がなく、恥ずかしながら親が購入してきたPIKO・Bad Boy・T&C(Town and Country)など"サーフ系(笑)"を着用してました。
徐々に色気づき、自分の洋服知識の無さに歯痒い思いをすることが増えたことがきっかけでした。
例えば、学園祭の打ち上げのなど突発的な女子との触れ合いイベント。
周りの同級生と比較し、"自分のダサさ"にようやく気づいて、焦り始めました。
そのもどかしさを解消するため、ファッション雑誌を読み始め、徐々におしゃれに興味を持つようになっていきました。

そして、高校生の頃から本格的に洋服を買い始めました。
グラフィック好きの友人の影響で、少ない小遣いでとにかくストリートブランドの服を買い集めました。(好きだったブランドとかも別記事でまとめたいです)

社会人になっても

ストリートブランドはだいぶ卒業し、ナチュラルなブランドを好むようにになりました。
ミーハーな人間なのでインスタグラマーに影響を受けまくり、コモリ・スタジオニコルソン・テアトラなどを好んでよく着用してます。
服を選ぶポイントが、昔はグラフィックのデザイン性重視でしたが、最近はシルエットや着心地、機能性重視に変わりました。

とはいえ、根本的な趣味嗜好は変わっておらず、ストリートブランドも大好きです。
"ロゴがドカン!"じゃないようなアイテムは、稀に購入します。

オシャレとダサいの境界線

さすがに"ロゴがドカン!"を今さら着用する気にはならないのですが、「ハズシとして着るならありかも…」といった拗らせ思考がなかなかに断捨離を邪魔します。

例えば、Stussyのパーカー。
お馴染みのあのデザインはもうあまり好みませんが、まだ捨てられません。
最近はさりげないロゴだったりでスタイリッシュなアイテムも多い印象があり、最終的には「たまに着るのもありだよな〜」に落ち着いてしまう。

でもよくよく考えると、pikoとあんまデザイン性って変わらない気がする。
わかってはいるけど、今までもこれからも絶対フラットな目線で良し悪しを判断することができない。
同じ古いブランドでも、"Stussy = 昔好きだった / 今でもおしゃれなストリートブランド" "Piko = サーフ系(笑)"って考えは捨てられない。
多分みんなそうだよね?

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やっぱり両者とも絶妙にダサい。
でも「Stussyであれば、外しで着用もありか…」と考えてしまう。

そんなこんなで、もしかして自分は"モノの本質的な価値"ではなく、"他人からどう思われるか"ベースでしか良し悪しを判断できない人間なのかもしれないと、少し寂しくなりました。


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