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彰義隊 小説感想

敗者から見た歴史小説だと思う。
戦闘シーンや英雄豪傑は存在しない

それよりも、主人公の輪王子宮の「逃げる」
「逃げた」足跡を、郷土史の記録や子孫の証言により、緻密に事実を再現する小説だと思う。

例えば、「ある男がベンチに座っている」から着想を得て、物語としての小説、それは
短編に長編関わらず、創作する事もあるだろう。

作者の吉村昭さんは
日暮里(古くは日暮しの里)の生まれで
幼少期、谷中霊園を抜けて上野山、寛永寺を遊び場にしていたという。

輪王子宮が、寛永寺の山主であったことは
この本を読みたいなと思った時に知った。

また、一日で敗者となった彰義隊は
名前こそ知っていたものの、関連した書物を読んだことは皆無であった。

寛永寺山主という立場でかつ、皇族という身分の宮は、彰義隊が敗れたことにより
朝廷軍(官軍)から朝敵として追われる身となる。

筆中、個人的には悲壮感というのはあまり
感じなかった。

前半部分は、作者の忘じがたし故郷を追想
するとも感じた。

宮は高貴な身分であるが、そこに尊大さは
非ず、様々な人々の篤志によって
その体を北へ北へ向け、逃げる。

「逃げる」というのが、この小説のポイントだと感じる。

それをセリフ(会話文)で、語ることなく
あくまで、吉村昭さん小説の幹である
「事実こそ小説」で作品全体を貫く

歴史の襞に隠れた人物達或いは
敗者を題材にした、まさしく
史実を忠実に再現する
表現者が書下ろした小説だ。

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