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言葉では多過ぎる。

12/1
昨日に引き続き今日も一言も話さなかった。放っておくと引きこもりがちになる、本来の自分に戻ったようで嬉しい。
ひたすら寝て、寝る合間に少しずつ作業をした。目が覚める度に体調が回復していくのを感じる。
「マンティコア 怪物」を観る。

生まれた瞬間から死に向かっている。今は死に向かっている途中だ。
バンコクの博物館で胎児の模型を見た。小指の爪の先程度の大きさでも生き物なのだ。胎児について全く知識が無く、何週間目だとこのくらいの大きさ、というのも検討がついていなかった。少しずつ大きくなる様子は当たり前の事なのだろう。自分の腹の中でも起こり得る事だと思うと変な気分だ。

九月に産まれた赤ちゃん虎達のライブカメラを一生懸命に見て居る。
歩行もままならない赤子状態から、二ヶ月半経った今でははっきりと歩き、睡眠時でさえも忙しそうに動き回っている。子虎達が母親に甘える様子も、母親が子虎達を可愛がる様子も、ライブカメラに空っぽの舎が写っているだけでも私を幸せな気持ちにさせる。世界のどこかにこの生物達が存在していると思うだけで幸福だ。
母性については謎が多い。自分にはついぞ芽生える事が無さそうだ。でも動物や人間の赤子は可愛い。今まで可愛い等と思った事が無かった。これも虎達のおかげかもしれない。

12/3
冷え込んでくると孤独で内省的な気持ちがぐっと強くなる。
毎年冬は良くない。去年は引きこもって自省して過ごしたし、一昨年は離婚をしたばかりで荒んでいた。そんな時に友人や家族から何でもない連絡が来ると嬉しい。SNSは普段は嫌っているのだが、友人達が元気にしている様子を知る事が出来る。クリスマスは一年の行事で一番好きだ。イルミネーションが灯っているのを見るだけで心が浮つく。きらきら光るものなんて全く興味が無いのに、この時期ばかりは楽しくならざるを得ない。
クリスマスにケンタッキーを食べた事無いなあ、今年は注文してみようかなあ、ケーキはどうしよう・・・等と考えているうちに少しずつ体温が上がるのが分かる。基本的に呑気な自分が可愛いと思う。

自分が撮った写真に励まされる。何にも出来ないけれどとりあえず写真を撮る事は出来る。

12/4

今日からまた十連勤。久しぶりの実働で嬉しくてめちゃくちゃに撮る。
体は疲れてクタクタだが、充実感に満たされている。
街中の紅葉がきれいだ。葉っぱが色付くだけで様子が違って見える。この季節の名古屋が好きだ。年中好きだが、紅葉は心が落ち着く。

12/6

今朝は仲良しのモデルさんとヘアメイクさんと作品撮り。
何をどう撮っても最高だった。時間を決めて集まり、パッと解散するのも気持ちが良い。

自分へのご褒美のタイミングは逃さないので、venchiでジェラートを食べる。チョコレートも勧められたので、勧められるままに買う。
店内で食べるより、テラスで食べた方が楽しい。さすがに寒かったが、マスカルポーネとイチヂクのジェラートは最高に贅沢で優雅で、心が満たされた。今年の残りも絶好調で進んで行けそうな気がする。

先週風邪をひきながら「タクシードライバー」を観た。
十代の頃、二十代の頃とは全く違う感想を抱く。トラヴィスはもっと、強く逞しい人だと思い込んでいた。そんな事は全く無く、社会のはみ出し者で愛想を尽かされており、自分の思い込みの末に広場に銃を持って行ってしまう。最終的に少女を救うが、迷惑行為に違いない。
そんなアウトサイダーに何故惹かれるかというと、彼が高潔だからだ。信念を強く持ち、理想の為に行動している。
傍迷惑であろうと、嫌われようと関係無く、自分に正しくあろうと生きている姿に胸が熱くなる。観る前と観終わった後とでは心持ちが全く違ってくる。

ただ生きるのも悪くない。でもこの映画を観たからには、自分という人間の在り方を考えてしまう。私もはみ出し者だが、正しくありたい。そんな事出来るわけが無いので理想と現実の差に耐えられなくなる。でも諦めたら本当に駄目になってしまう。自分に失望したくないのだ。

これといった力強い思想があるわけでも無い。でも明日から何かが変わる予感がする。
それと、「へらへら生きているとトラヴィスに撃ち殺される!」と思った。特に高尚な思想では無さそうなのがトラヴィスの気持ちの良い所だ。

12/8

自分とは違う考え方があると知るのはとても豊かだ。
しかし、それが怖くて仕方ない事の方が多い。それぞれ全く別々の気持ちでいるなんておそろしい。勝手に泣いたり笑ったりしているのだろうか。本当にそうなのかどうか確かめたい。ジッと見て知りたい。透明人間か何かになり、人々の営みに干渉せず生きていきたい。意識だけの生命体として存在出来たら良いのに。

12/12

思い立ったのでピザを食べた。
滅多な事では私の口に入らないのだが、たまに食べると格別に美味しい。照り焼きチキンマヨネーズとトマトソースのハーフピザは、照り焼きの方がより美味しく感じた。
以前ならこんな子供っぽい食べ物なんて食べないと突っ張っていたが、今は楽しくて仕方ない。デザートのアップルパイまで食べた。ピザにはコーラ等の炭酸飲料が供される事が多いようだが、私は牛乳が一番合うと思う。
お腹がぱんぱんでしばらく動けなかった。

12/13
昨晩ピザを食べたからに決まっているのだが、体が重たくて仕方がない。
朝食は食べなかった。怠くても仕事は進むので、流石は私だと感心する。夕方は久しぶりに図書館へ行く。特に何の用事も無かったが、行けば未知の本があるのは楽しい。結局かりたのは桐野夏生さんの「ポリティコン」だ。冬になったら再読したいと思いながら何年も読めずにいた。

12/14

午前中に予定が無い日は死んだように眠る。
大抵は24時、遅くても25時に就寝なのだが、起きると10時を過ぎている。一瞬も目を覚まさない。睡眠は死のいとことの事なので積極的に眠りたい私にとっては非常に好ましい状態である。
眠りにつく時は仰向けになり両手をお臍の辺りに置いている。目が覚めると、この時もまた仰向けでいる事が多い。私はもしかして寝返りもうたずぴくりとも動かず、9時間も眠っていたのか?死体のように?と不安になる。
まさかそんな事は無いかと思うが、いつか確かめてみたい気もする。

12/19
漫然と生きている中にも煌めきがある。
風上から流れて来る香水の香りや、煙った指先、しっくりくる手袋を見つけた瞬間、とても美しいけれど自分の指に差し込むには不似合いな指輪、重なって眠る虎達、自分の体のにおいと外からの冷たい空気が同時に存在するコートの内側、悪夢を見て目が覚め見上げる天井、キスをしている途中自分だけが目を開けた時にだけ見える相手の睫毛、見た事を悟られない様に慌てて目を閉じると音が途端に大きく聞こえてくる。相手の瞳が開く音がする。きっと今私の睫毛を見られているのだろう。睫毛エクステを付けている為邪魔になり、私の眼球の動きはやや見えづらい筈だ。目を閉じたまま、そっと目を逸らす。

12/20
知り合いからみかんが送られてきた。
早速、親指の爪が黄色くなるまで食べる。

今年買って良かった物
・ポップインアラジン
天井のシーリングライトに引っ掛けて使用するプロジェクター。これを買った事により引きこもりが加速。デメリットはYouTubeのくだらない動画も大画面で見れてしまうこと。

・ベッド
詳細に言うとマットレスのみ。今まではフローリングの床に布団を敷いて寝ていた。ベッドの登場により住居の文化度が三段階上がる。デメリットはクイーンサイズを選んだ事により、シーツ等の寝具が高額に。

・無印良品 薬用入浴剤ミルクの香り
毎日必ず浴槽にお湯を溜めて入浴をする。入浴剤が大好きで、たくさん用意をしている。この入浴剤は一番のお気に入り。
大人として仕事や野外活動をしているが(なんと敬語も使えるようになったのだ)、帰宅をすると赤ちゃんになる。
ティーンエイジャーや学童、幼児でもない、赤ちゃんである私は、とはいえ大人の自分との切り替えが上手く出来ない日もある。そんな夜はこれを使用する。優しい白色のあたたかい湯からはほんのりとミルクの香りがする。湯はまったりとまろやかになり、肌は自然にしっとりとする。規定の量より少しだけ多めに入れる方が好きだ。その方がミルク感が増す。
そしてこの湯に入った日は眠たくなるのが早い。すやすやと何の不安も無く眠りにつく事が出来る。

12/21

・今いる場所以上に居心地が良い場所がある筈が無いのに、どこかに行きたいと常に思う。

・私の角度が鋭角だと教えてやる、とばかりに現像。

・良く生きる事が出来ない。

12/23

友人と食事。
気がついたら4時間程お喋りをしていた。大人になるにつれ許せる事が増え、譲れない物が増えていく。

12/24

夕方まで仕事をして実家へ。
クリスマスを実家で過ごす事が多い。いつか死ぬのだ。私よりも両親が先に。憎たらしい両親だが、それ以上に愛おしい。
実家に居る猫を撫でる。こいつもいつか死ぬ、それも私が想像しているよりずっと近いうちに。

12/25
日頃の行いが良い為、連続でご馳走を食べている。また、日頃の行いが悪い為、サンタクロースは来なかった。

12/26

昼過ぎ迄寝てモタモタと活動する。
自分で前髪を切る。今までで一番気にいるように切れて大満足。

12/27
夕方まで机の前に座っている仕事をする。

12/29

まさご座へ。
ステージの撮影をする時にしか使えないシナプスがある。脳みそが上手く働き、全ての感覚が上手く連動する瞬間がある。撮影をしている間はそんな事を考える余裕等全く無い為、後付けなのだけれども。

12/30
アイドルの友人の撮影をする。振袖姿を見て、ひと足早いお正月気分。
えいやっと御神籤をひく。なんと今年二度目の大吉。

12/31

年末の締めくくりとして、「色々あったけれど楽しい一年になりました」と言う事がある。
私は今年三十五歳なので、三十回程度は言ってきた筈だ。そういう発言をする事により、周囲を安心させたかった。しかしどの年も本当に色々あって、満身創痍のまま傷が癒える事無く年明けを迎えて来た。

今年こそは正直に言おう。
私は変わらず傷だらけで古傷の上に生傷を作り、のたうち回るような大晦日を過ごしている。今日だけでは無い、ほぼ毎日がそうだ。
体力だけは自信があるので、毎日元気に働いてしまう。気持ちに引っ張られて体が病まないのはせめてもの救いだ。

自分の負担を減らす努力をした。
人との距離感を一定に保つ事を目標に過ごした。全てのものを平等に愛せたら良いのに。私は非常に偏りがある考えなので、とても難しい。
手の届く範囲で、思いっきり大切に出来るものだけを愛す。今までは近過ぎたのだ。物事との本来の距離感を取り戻した一年に出来たかと思う。

その中でも少しずつ仲良くなったり、新しく知り合う人達が居た。変わらない距離で接してくれる人も有り難かった。関わった全ての人に心から感謝している。
人の為に何かをするのはとても苦手だ。だから自分の為に思う。2025年も愛と光に満ちた一年になると良い。

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