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命日

5/19

生花の撮影。
何らかのプロの方と撮影をするのは本当に楽しい。
自分は何の確証も無く、勉強もせず、雰囲気と勢いで生きてきた。その道のプロフェッショナルな人を羨ましい、というよりも憧れている。

5/26

待ちに待ったドミロンナイトの日。
酔っ払って話していた妄想を着実に実現していくドミロンさんの姿が眩しかった。大きな箱を大入りにさせ、最高の演者さん達を集め、スタッフさん達には信用され皆んなに気を配っていた。
長年の友人がまた一つ夢を叶えた日だ。そんな日をカメラマンとして記録出来て光栄だ。真面目にコツコツと写真を撮っていて良かった。友人として呼んでくれたのではない、プロのカメラマンとして依頼をして貰えたという事実が誇らしかった。

ドミロンさんの推しのAKIさんのステージを撮りながら、少しだけ泣いた。幸福感に少しだけ悔しみも混じっている。自分も成長しなければ。
ドミロンさんがわけのわからない夢を叶える姿をずっと見ていたいから。これからも一緒に妄想を実現させていきたい。

6/5

久しぶりの一日休み。
休みといえどもやることは100個以上ある。先週撮影した写真の現像を済ますのに、どんなに集中しても2日かかるだろう。

昼間に自宅に居るのも久しぶりだ。
目が疲れたのでベッドに仰向けに寝そべった。白い天井、白いカーテン、白い照明、白い布団。私を傷つけようとする物が一切無い、私が選んだ物しかない空間。当然のように寛ぐ事が出来た。
1DKのアパートに住んでいる。
DKの空間に作業机や機材を置いている。1の部屋には設置出来るぎりぎりの大きさのベッド、テレビ、鏡しか置いていない。簡素故に雑念が無い。私は情報量が多い場所に居るとそれだけで疲弊する。
今よりもっと神経が昂っていた頃は食料品店に行くだけで熱が出て、それなのに眠れなかった。

6/12

3月から絶え間なく動き続けている。
毎日楽しい事しかないので、心は楽だが体が疲弊している。
暑さに弱く熱中症になりやすい為、7月8月の私は本当に役に立たない。体の上に頭が乗っており、ペタペタと歩き、たまに喋る程度の物体、に拍車がかかる。
夏は駄目だ。夏休みだと思ってのんびり過ごそう。

こんな私でも多少は人様の役に立てている事が嬉しい。
嬉しいのでたくさん予定を入れる。毎日楽しかったり変なものを見たりして慌ただしく過ぎていく。日記を書くのも停滞していた。代わりに写真は大量に撮っている。
明日は東山公園に行く。

6/13

東山公園に行く。
手漕ぎボートに乗る。係員の人に「漕ぐのが妙に上手」と褒めてもらい嬉しくなる。
毎月一回程度は女の子を乗せてボートを漕いでいるのだ。そこそこ上手い自信がある。

6/17

死者に囚われないように、と努めている。
思い出はたくさんある。でももう増えていく事はない。毎日面白おかしく暮らしていても寂しさはこびり付いている。それが弔いなのか、囚われているのかは分からない。

私はまた妄想に駆られてしまい必死に探し物をした。どこかに必ずある気もする、でももうどこにも無い気もする。

6/16
生きている事自体が懲罰なので、毎日が苦しい。そんな生活の中でもささやかな楽しみを準備する事も出来る。

・切り花を買って飾るようになった。(鉢植えは怖い。)
・女子会を企画した。(お菓子を作りたい。)
・夏休みには今まで観てこなかった古い映画を観たい。(ヒッチコックとか。殆ど観た事がない。)
・知らない人と話したい。(人に対して臆している。ごく親しい人達としか会っていない。それでも未知の人達の事を知りたい。知らないから怖いのだ。)

6/20

仕事は忙しく、食べ物は美味しく、友人達と長電話をしたり、枯れた花を見つけては嬉々として撮ったり。

日曜日はグループ展の搬入がある。
展示をする際、毎回なんだかとてもそれっぽい文章を付けている。今回も意味があるような文章を書こうとしている。しかし何も浮かんで来ない。これは私が幸せだからだ。

搬入までの間に精神的につらい目に合わなければ何かを作る事が出来ないのか?と思うと面白くなってきた。
つらくてひどい体験を糧に制作をする人も居るようだし、それを受け取る側が望んでいる事もあるだろう。
私は出来るだけ平穏に生きていきたい。日常を過ごす中で知る自分の暗い面を作品として出すのは良い。でも進んで自分を暗い方に追い込みたくはない。

6/21

お嬢さん達を撮り、撮影後にお茶をし、元夫と鰻のようなものを食べ、想縄に少しだけ顔を出す。
精神的につらい気持ちになることが一切無い日だった。
こんなに幸せで充実した一日なのに、「不幸になりたい!」と願う私は酔狂に違いない。
精神的に追い込まないと120点の文章が書けない、というのもツッコミどころがあり過ぎる。120点とは何だ?そして誰が採点しているのか?追い込まないと書けない文章を出せば私は満足なのか?
「苦しんで書きました!読んで私の感情に浸って下さい!そして私を評価して下さい!」という主張はあまりにも幼稚だ。
私は私が泣いたり笑ったりしながら日々を過ごしていく中での感情を作品に乗せていきたい。ネガティブな感情を演出して発表したり、それを有り難がれるのは苦しい。
毎日を粛々と、平凡に生きていく事に価値がある。
満ち足りた私と、私の作品を見て「つまらない」と思う人も居るだろう。魂を削って作りました!という情熱や根性を求められても、今は困る。私は幸せだから、平穏で穏やかで優しい写真と文章を展示しようと思う。

と書くが、明後日の搬入までにとてつも無い絶望に駆られるかもしれない。何があるかわからない。

6/22

買い物をしにIKEAへ。車をかりて行くより電車の方が気楽。

甘いものを食べながらのんびり会話をするなんて、いつぶりだろう。なんて良い土曜日の午後。
今日も絶望が入り込む隙間が無かった。楽しい時間を過ごせたなとにやにやしながら眠りについた。

6/23

グループ展の搬入へ。
オープニングイベントとしてショーもする。なんと初演が2013年の演目を再演。メンバーの変更無し、どころか一名増えた!

10年以上仲良く遊べていることは奇跡なのではなく、お互いを大切に思い合っている確かな証拠だと感じた。
今後も変わらず付き合っていくには、自分にも他人にも正直で居るしかない。取り繕わず、驕らず、謙虚にいきたい。ただ私にはこれがとても難しい。
まずは自分を大切にする事だ。向き合う事が面倒くさくて蔑ろにしてきた面も多い。
私は私の事を好きなのだろうか。基本的には大好きだが、信用出来ない点も多い。例えば・・・恥ずかしくて怖いのでここには書きたくないのだけれど。

自分の作品は大好きだ。何よりも大切にしている。どこに出しても恥ずかしくない物を自分の手で作り出せる喜びに溢れている。
今回は展示写真だけでは物足りなくて、ポートフォリオも兼ねてA4のプリントも出した。解説も差し込んだ。これについては蛇足かもしれないが、書きたくて仕方ないので書いた物ばかりだ。

この日記も、誰に頼まれたりしているわけでもないのに、せっせと書き続けている。私は13歳からインターネットで日記を書いている。記録に残っていないのが悔しい。13歳の私も、今日はこんな映画を見た、とか、友人とプリクラを撮ってたこ焼きを食べた、美味しかった、とか、今と大差ない物事を楽しんでいた記憶がある。

何を書きたいか分からなくなってきたが、楽しい、居心地の良い事を続けていく事が私は出来る。これはなかなか難しい事だとも思う。

6/24
伽十心くんと撮影へ。
一緒に行きたい場所がたくさんある。今日は海へ。
私は車校を卒業して以来高速道路を走った事がなく、不安しか無い為全て下道で行く。撮影している時間より車に乗っている時間の方が長かった。

外で活動しようと思えるギリギリの温度と湿度の日で、平日の昼間の割には海のお客が居た。海と空の境界線は霞んで見えた。鳶がのんびりと飛行しており、空に区切りをつけているようだった。

伽十心くんとはおそらく13年の付き合いになる。フェティカというアングラ系のクラブイベントで知り合い、写真を撮らせて貰った。以降は同じイベントに出演したり、伽十心くんがグループ展示を主催するようになってからは出展者として呼んで貰っている。
彼のグループ展に出るようになってから、私は自分の写真を人に見せるためにまとめたり、選んだりするようになった。カメラを持ってぶらぶらしているだけだった私を作家にしてくれたのは伽十心くんだ。
新たに展示に呼んで貰う度にいつも不安になる。もしかしたら期待されているような物は出せないかもしれない。ついこの前も素人丸出しの展示をしてしまい、恥ずかしい思いをしたばかりだ。

でもそんなネガティブな気持ちが吹っ飛ぶような、楽しい1日だった。少なくとも、私は伽十心くんと過ごす事で心が軽くなる。
何だかよく分からない写真をまとめて、何なかの形にして、人前に出そうという気持ちが固まった日だった。

6/25

何らかの寂しさを抱えながら生きて行かなければならない。
昨日まで、というより今日の夜までは確実に楽しかったのに、今現在(23:14)はとても虚しい。誰が何か悪いとかではない、これは全くの私のせいだ。
あるような無いようなことで勝手に苦しんでいる。こういう事をするのが得意で好きなのだと思うようにしている。

今日は弟を撮影した。
弟は謎のタレント性がある。愉快で、声が大きく、たくさん食べ、よく笑う。かと思えば私と同じような事で思い煩っていたりする。
もう1人弟が居るのだが、彼もこういう事で悩んでいるのだろうか。兄弟揃って1人で勝手に苦しんでいるのだとしたら、もうそれは孤独ではない気がする。

6/26

合法の廃墟に行く。
いい感じの廃墟を見かける度、「お金を払うので貸してくれないかなあ」と考え続けていた。お金を払うと鍵を開けてくれ、堂々と写真を撮る事ができる廃墟があるなんて。長年の夢が叶った。

6/28
カメラを抱えてうろうろする日。
朝は病院。通院日はたいてい雨が降っている。

昼は喫茶店で作業。とても雰囲気が良くて食事もコーヒーも美味しい。
店員さん同士が延々とお喋りをしており、会話の内容が筒抜けだった。店員さんの住む地名と自宅の最寄りのコンビニ、家族構成、通勤手段、最近のもっぱらの悩みを知ることになる。もちろん私は全く知りたくは無かった。

イソさんと撮影。
展示等でお会いする機会は多いが、撮影は初めて。白黒の写真なのに色が見える、人の原型を留めていない写真ほど人の気配を強く感じる。戦慄するほど尖った作品なのにご本人のお人柄がソフトで、素敵な加減だなと感激する。

移動し、次は逆に私が撮る仕事をする。
撮影が終わってスタジオを出たら雨が上がっていた。

作業がてら久しぶりに喫茶アミーゴに行く。
今年初の桃パフェ。



夜は展示の在廊をする。
たくさん笑って喋った。
帰宅して寝る前に楽しかった事をたくさん思い出す。良い一日だった。

6/29
長くつらい梅雨の幕間、よく晴れて気持ちのいい日。
グループ展の最終日、搬出をする。
いつもと違うメンバーで展示をするのは純粋に楽しかった。

人が写っている写真を出さないですね、と言われる。多分、おそらく、出す事は無い。
人が写った写真を見せる趣旨の展示ではない限り、出したく無い。理由を聞かれると色々あるのだけれど。

この先どこかで出したら、頭を打って記憶を失ったか、よく似た別人だと思って欲しい。
でも写真集はたくさん作りたい。写っている人のファンや必要としている人達に届ける喜びを感じる。

6/30
せいろを買った。
せっせと野菜やお肉、魚を蒸して食べている。蒸せるものは何でも蒸したい。手始めに肉まんとあんまんを・・・と思いスーパーに行ったが、季節外れだからか売っていない。友人がベーグルをせいろで蒸していると小耳に挟んだので、何かの機会に買おうと思っている。

性刻に遊びに行く。
早寝早起きを心がけている為、クラブには滅多に遊びに行かなくなった。(MAGOに卓球が来た際にも深夜で眠たすぎるという理由で行けなかった。)
久しぶりのクラブ!DJ!よく会う友人たち!お顔を見た事がある知らない人たち!私のテンションは一気に上がり、お目当てのAKIさんのステージで最高潮に達した。

気持ちを落ち着けながら外を歩く。
アジア料理屋のイベントに行き、夕食を摂る。
しっとり、というよりももはや水の中を歩いているような湿気の濃さだが、気持ちは晴れやかだ。

今月のトピックスといえば、禁煙を中断して喫煙を再開した。
思えば私の友人たちの8割は喫煙者で、そのうちほとんどが紙巻きタバコだ。この環境でよく禁煙をしていたと思う。

ずっと吸っていたPALLMALLは2018年に生産を終了している。私が禁煙を始めたのは2018年の春だった。この知らせを聞いて、生産終了を迎えるまで吸っていたら良かったと後悔した記憶がある。喫煙を始めて以降の全ての思い出をPALLMALLと過ごしてきた。思い入れがあると言うにはあまりにもありすぎる。良い銘柄だった。

ではこれから何を吸うかと悩んだ。
知り合いとたまにおやつ感覚で吸っていた煙草の事を思い出した。試しに一箱購入して火をつけて吸ってみると、私に馴染んだ。7年の禁煙を、これほどまでにスムーズに中止し、喫煙を再開出来るとは。
ここ数ヶ月は喫煙者の知り合いを目ざとく見つけては煙草を一本くれとねだり、吸わせて貰ってきた。貰い煙草の身分で言うのもいかがかと思うが、正直どれも美味しくなかった。しかし、しっくり来る煙草があるなら喫煙も仕方ない・・・という言い訳もしつつ、吸っていこうと思う。

残念なのがzippoが見つからない事だ。
特にお気に入りというわけではないが、使い慣れた癖のzippoを持っていた。家中どこを探しても見つからない。元恋人から貰った物で、当時の私にはそぐわないデザインだったが今ならそれこそ馴染むだろう。
禁煙をする際に捨ててしまったのかもしれない。もしくは奴が死んだ知らせを受け取った時に怒りのあまりに捨てたのかもしれない。
zippoなんて買うのは簡単だが、欲しいと思える物は一つもない。
100円のライターで煙草に火をつける度に奴のことを思い出す。奇遇だが、今日が命日だ。

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