できる、というよりもやったぞの気持ち
運転の練習をした。母をのせて。
いまさら過ぎる練習だし、右折も駐車もいまだに苦手だ。
それでも「できない」という強い不安と拒絶反応を少しばかり和らげられる材料にはなったのではないかと思う。例え右折出庫時にクラクションを鳴らされるような運転だったとしても。
と、いうよりもまずは最低限の運転と駐車さえできればいい。
もうこの際、右折出庫はしない。できないままで大回りしてもいいじゃない。そんな気分だ。苦手なことから逃げていることには変わりないが、かつての私なら「もう二度と運転なんかしない」「電車とタクシーバスで事足りる」なんて考えていただろうから、だいぶ前向きに考えられているほうではないだろうか。
いや、考えられているほうだと思う。
以前の私は0か100しかなかった。失敗したならもうやらない。私はこれに向いてない。適性がないんだと、そこから先へ進めなかった。
100リストを作ったらだからだろうか。
目的が明文化されるとともにステップごとにわけたためか、今までのような焦燥感に駆られない。今までだったら「車に乗れるようになる」という漠然とした考えをもって、練習に踏み出し、どこかで不安があるとそこで躓いた。けれども100リストを作ると「いきなり一人で乗れるようになるのは無理だな」「すべての自信がない」「特に駐車が苦手だ」「右折入退場が怖い」など、一つの苦手に対する解像度が上がり「まずはこれをやってみよう」と一歩を踏み出しやすくなる。
まだ目標の「一人で運転できる自信をつける」には遠く及ばないが、今まで数年間も避けていた車の運転に踏み出し、何を苦手に思ったのか、何なら大丈夫だと思っているのか、自分のことを知れたのは大きい。そう思う。
特にペーパー講習に行ったことで、学生時代指導員に言われた「運転しないほうがいい」という呪いの言葉は「なんで講習来たんですか?お上手ですよ」で解放されつつある。それでも払拭されきれない不安は何が原因なのか、というのが今回の練習で「右折入退場」「駐車」とはっきり分かった。
次の練習の時は駐車を重点的に行って、いつか自信がつくといい、そう思う。