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会社が倒産した

「コロナ禍」はネット記事でも新聞でもTwitterでもよく見かける文言となっていて、マスクやトイレットペーパーの買い占めだとか、石油価格の急落だとか、日々その影響が強まっていくのを感じてはいた。だけど、いまや緊急事態宣言が解除されようとしていて、COVID-19へのワクチンなど確立した治療法が見つかったわけではないにしても、緩やかに事態の収束に向かいつつあると、どこか安堵していた。
そのなかでの倒産である。全く、1ミリたりとも予期していなかったといえばうそになるが、それでも「自分は大丈夫」と何の根拠もなくこのままぬるい環境に浸っていられると思っていただけになんとも名状しがたい漠然とした感情が居座っている。経済への影響をちゃんと考えていなかった自分の浅はかさに泣けてくる。

 まあ、そんなことを思っていても事態は改善しないし、雇用を守ってくれる会社もなくなったし、出来ることをしなければならない。だが、いざ行動しても次の職場なんてそう簡単に見つかるわけもないのだ。通常時であれば職を選好みせず、数打てばあたる方針を取れるかもしれないが今、正社員を募集する求人は相当に少ない。圧倒的に母数が少ないのだ。それを抜きにしても、というかここが就活を困難にしている一番の要因なのだが、私は社会人になって2年と1か月の人間であるのにもかかわらず、スキルも経験もないのだ。新卒ではない。けれども胸を張ってこれができますと自分を宣伝できるほどの成果物は存在しない。
新卒で入社した現在の会社ではなんの、文字通り1つも研修も受けず「これをやって」といわれて、その作業説明もなかったため自分で試行錯誤してここまでやってきただけで、一般的な第二新卒?に期待されるような基盤があるのかもわからない。たぶん、おそらく絶対的にない。学校で就活時に教わった就活生知識が一番社会人に近いもので、胸を張って一般スキルのある第二新卒として転職活動をすることも、特殊な経験を積んだ人間でも、成果物が存在するものでもない。ちなみに車も持っていない。免許は持っているが卒業とともに取得したためペーパーも2年になる。
過去の自分というか、今を作るこれまでの自分のせいで就活するための選択肢が狭められている。子供のころ嫌というほど聞いた大人の「もっと勉強しておけばよかった」とはこういうことだったのか、と今更ながらに理解した。

 それでも、職がなければ生きてはいけない。一応現代を生きる若者としてWord/Excelの基本的な初歩的な操作はできるし、ブラインドタッチもできる。というかこれしかできない。これを強みとしてハローワークに登録し、一応面接も行った。
 しかし、同じ業種というのはないので、必然的にほかの業種になる。前述の通り、私はなんのスキルも資格も成果物もなく誇れるような学歴を持っているわけでもなく、一般的な第二新卒に期待される基盤が存在するかも怪しい。ただ無為に時間を過ごしただけの人間なので「未経験、異業種ですかぁ…」という反応をされる。うんよく書類審査が通っても、やはりそこを指摘される。
もちろん、面接を受けに行く前にきちんと志望動機は用意している。異業種や未経験を指摘されることも前提で、その会社を選んだ理由も、長所短所も。でも、やっぱり駄目だった。残念な結果に憤慨するあるいは反発するといった感情はなくて、そうだろうなぁと納得できてしまっている自分がいることがなんだか悲しくて落ち込む。

まあしかし、日本は福祉国家でもあるので失業手当がでて、職業支援をしてくれる施設があって、時期さえ合えば職業訓練というものも受けられる。さらに保険も軽減措置を取ってもらえるという。厚生労働省ありがとうございますって感じだ。もう何もかもが駄目だし、こっから逃げてなけなしの貯金をはたいて遊んでから土の中に埋まろうかなとも思ったけれど、それはできることすべてやってから、と自分を鼓舞していこうと思う。それをここに記していくことにする。

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五月
もう、よくわかりませんが生きています