動かぬ証拠がほしい
善は急げ。[方針]どおり月曜の朝いちばんで人材派遣会社の説明を受けてきた。自分の現在のなけなしのExcel・Wordの初歩的な操作ができることやブラインドタッチができる程度にはある一定の速度を持ってタイピングできるという唯一の、あまり意味のないスキルだけを持って。「有効求人倍率が」と申し訳なさそうに話す相談員さんに、そんな顔をさせている自分のほうが申し訳なく、自分のような人間の為に時間を割いてもらったことが酷い浪費のように思えた。
履歴書の、空欄を見つめるたびに自分がどれほど使えない人間で、どれほど薄っぺらく社会に貢献できない人間であるのかを自覚する。でも今の自分を否定して嫌悪するだけで何かしたような気になるような人間だけには、どうしてもなりたくない。文句を言うだけで何かをしたような気分に浸る人間だけにはなりたくない。危機的な状況ではあるけれども自分を強制的に見つめ直す時間が与えられたのであるのなら、それから逃げずにちゃんと考えたいと思うのだ。
そう。だから、自分ひとりでできることをしたいと思う。とりあえずパソコン操作に関しては全くの初心者ではなく、パソコン教室などで付きっ切りで指導してもらわなければならないほどではないのでMOSのExcel・Wordの参考書を買い一通りの操作をできるように自習するのが良いかと思って今取り組んでいる。MOSの試験もコロナ感染症対策として延期が決まっているが、「これができる」と自分に自信をつけることを第一目的としてやっていければと思っている。
結局今日は一応の登録と簡単な試験のようなものを受けて終わったが。前進した、といっていいのかわからないけれど「前進した」とほめてやらなければそこから動き出せなくなりそうで怖い。そう、こわい。無為に時間を過ごしていることを知りたくない。ダメダメな結果に終わろうと「あのときは」とせめて言い訳にできる程度の何かをしておきたい。ゆるされたい。ゆるしたい。じぶんを。不安から目を逸らすためにできることを見つけて走り回ることが唯一の救いのように思える。そしてこのnoteはそうした自分への言い訳に利用できる証拠になると浅ましくも思っている。
「そんなにいそがなくても」
「そんなに焦らなくても」
「まだ若いんだから」
「もっとなにもできない人もいる」
慰めなのか気遣いなのかわからない言葉に揉みこまれて気が狂いそうだ。いや、気は狂わない。そこまで繊細でもそこまで真面目でも、そこまで理性的でもない凡人は狂うこともできない。自分が誉め言葉を言ったつもりでも相手にとっては嫌みに感じたり、自分が悪意を持って傷つけようとして発した言葉が相手には冗談と捉えられたり、自分が想定していた通りに相手がその言葉を受け取るかどうかはわからない。そして相手がどう受け取ったのかを正しく認識することも。今の自分にとって「大丈夫」という言葉はなんの支えにも何の救いにもならない。人の善意を、人の好意を、素直に受け取れない自分に苛立って、また焦燥感に駆られる。いやな人間になりたくない。だれかにとって、ではなく自分にとって。そうならないためにも、自信をつけることは大事なのだと思う。