言の葉を春の灯として手渡さん いさな歌鈴
ロシア大統領プーチンの指揮のもとのウクライナへの本格的侵攻が始まって3週間が経とうとしている。
3週間、21日、504時間、30,240分…。
それよりも前から続くシリアの惨禍がないかのように挙国のキャンペーンが張られているのにはすこし鼻白む感もほんの少しだけ僕にはあるが、それでもやはり届いてくる映像を見るにつけ、心が痛んで仕方がない。
首都キエフの地下道で市民が避難生活を続いているとの報に、一片の詩を思った。
ジャック・プレヴェールがこの詩を書いたのは、第二次世界大戦時ナチスドイツのパリ侵攻のもとで書かれたと聞いていた。(真偽を調べたわけではないのだが)
その記憶とキエフの地下道の避難生活の報とが結びついて、「夜のパリ」がよみがえっていた。
ウクライナの惨状の報に熱量の高い感情を感じるのは致しようのないことだと思う。その熱を言葉にして迸らせたいと思うのも、これまた自然なことだと思う。僕なりに俳句という形式で、その激情を詩にいくつか写しこみ、投句したりしていた。
が、あるとき、こういった時事俳句を詠むことにあるときためらいをおぼえた。それは、俳句作りを始めた当初に買った入門書、藤田湘子の「実作俳句入門」の中で、彼が「俳句で何かを語ろうとするな」ということが心のなかで引っかかっていたからだ。
具体的に藤田湘子の警句を列記すると
と、かなり手厳しい。
彼がそれらを排せという理由は、作品の芸術性と永続性を高めるためだと僕は受け取っている。
およそ名句と呼ばれ、古典と呼ばれた数々の作品は、時間と人の淘汰を受けてなお精彩を失ってはいない。それらの作品群には上記の項目が透徹されおり、そのおかげで色あせないでいられるのだと藤田の指摘通りだと思う。
が、しかし、たしかに、別段僕は俳句で食べていくわけではない。
自分のために自分を掘り起こすために作っている市井のおじちゃんの趣味の文芸だから、そんなにしゃっちょこばらなくてもいいのではないかとも思うこともあるが、それでもやはりすこしでも佳いものを作りたいと思って、句作テーマや言葉選び、推敲の基準にしている。
そのアラートが、ウクライナ時事俳句を詠むことに働いた。
「なんとか詠みたい。」
動き出した心は留まらない。
直接の戦禍を詠まずに、景色を詠むことでそれを果たせないかとかなり苦心してきた。でも、できない。
いろいろ考えて、つきつめていえば、動機が不純だからだとも思った。
句で僕は何を伝えたいのだろう。わからなくなってきていた。
言の葉を春の灯として手渡さん いさな歌鈴
昨日、2022年3月17日の夏井いつきの一句一遊の番組内で紹介された句。
この句を紹介する前に、夏井いつき(組長)が
「東北の震災が起こった時にもおんなじように、心が...どうしていいのか分からない。あの時日本中俳句してる人たちもたくさんたくさん震災の句を作って発表しました。いろんな投句欄にもたくさん震災の句が来ました。被災してない自分達が詠むのはどうだろうというふうな、そんな思いとかご意見もありましたけれども、そういう自分の辛い心を俳句にしていくってことは、とってもとっても自分の心を救うためにも大事な事だとワタシは思っております。
ワタシの新しい句集、伊月集『鶴』の中に、一塊り桜を詠んだ句があるんです。その桜の句は、まさに東北の震災の頃に、もういたたまれない気持ちで詠んだ句たちです。詠みましょう!地球の平和を祈れる私たちでいましょう。その意味でも、俳句を使っていいのだとワタシは思います。」がおっしゃられ、そのうえで、この句を紹介されていた。
この句を聞いた瞬間、僕の心の中にあったわだかまりがすっと抜けた。
この句の正体は「ただただ平和と人々の安寧を願う心」だ。
あれこれいわず、つべこべいわずまっすぐに心にあるものを素直に詠みだし、気持ちを季語に託している。それでいいのだなと心に清いものがながれた。
そして、この句に詠まれている灯は有名な仏典の「貧女の一灯」だ。
全然別のことだが、あるところで、ウクライナの戦禍を憂え「なにもできない無力感」について僕は相談をうけたことがある。
そのとき、その無力感に共感しながら僕はこう答えた。
「自分と自分の周囲半径5メートルの平和と安寧を願い創っていきましょう。その見えない波動はかならず人から人へと伝わります。そして、ウクライナの人にも届くでしょう。そう信じて、小さくても無力に思えても平和を願い創っていく行動をしていくしかないと思います。」
僕と僕の周囲半径5メートルの平安を願い創り、そして言葉の力を信じて僕は詠んでいこうと思う。
それでいいのだ。
そう素直に思わせてくれる一句だった
半径5メートルを照らす春の燈 蝦夷野ごうがしゃ (うむ、おそまつ…)
#俳句
#日常俳句
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