なんかデジタルなコミュニケーションについて書こうかなぁと思ってサムネつくって、でもやっぱちがう話がしたい気がする🙄なやつ⚠️メンタル終了につき閲覧注意😇
いやまあ愚痴ろうと思った件がどうでもよくなったというか、そもそも何について愚痴ろうとしていたのか忘れただけなんですけどね。なんとなくは覚えてるけど、考えていたはず?のおおまかな展開は忘れた。さようなら。
それにしても、このnoteのアカウントをつくったときのコンセプトはどこいったって感じなんですが、もーいーの。好きなことを好きなように書けないと続かないので、気にしないことにしました。
まあ好きに書くにせよ、それ本当にnoteでいいんですかね、という葛藤というか何というかはずっとあるんですけど。すでに記事を引き上げて別媒体に移行している人も少なくないなか、自分はこんなに無責任でいいのかなぁ、みたいな。
はい。そんでここからが本題(?)というか、今書きたいことなんですけど。結論から言うと、死にたい。久々にけっこうガチで死にたみに溢れている。もうすべてが嫌だというか、すべてを拒否したいというか、すべてを終わらせたいというか、ここにもどこにもいたくないというか。I'm doneだし、ハイもう俺が終わりましたんでさよなら〜って感じで周知したい感じ。もう誰の言葉も届かないよーだ!って感じになりたい。
ちなみに、なぜそう思うかはもはやここには書ききれないほど理由があるので割愛しますが(近しい親族が亡くなって精神状態が終わっていることだけは明示しておきます)、消えたいとか自分いなきゃよかったなーではなく死にたいという気分になることはそうそうないし久しぶりすぎるので、対応に憂慮しています。対応に憂慮というか、今度こそ本当に終わりでもいいんじゃないのかな、という気持ちになっています。客観的に見ればだいぶまずいよね。うん知ってる。
なお、自ら命を絶つことにたいしてはいろいろ意見があるだろうけど、個人的に説得力があると思った反対理由は1度しか聞いたことがない。ある海外ドラマで、自殺は自爆テロのようなものだという台詞があって(周囲への影響のメタファーとして秀逸だったと記憶)、なるほど〜と思って動画も撮っておいたんだけど、スマホのデータが消えたときにどうやらそれも消えてしまっていたらしい。なにこれ、まさに「今しかない」感じ?な展開だ。
そういえば、手術のために全身麻酔をしたとき、このまま死んだらこれが最後なんだなと思って手術台に乗って麻酔を入れる直前に急に怖くなったことがあるのだけど、死のうとしたらそう思うのかな。ああ本当に終わりなんだ、って。そう思ったところでやめられるかどうかが大きいんだろうな。最後の一歩で躊躇できるかどうか。
とりあえず思うのは、自分が生きるのに必要なリソース量にたいして、俺がそれを得られるだけの人間にはなれなかった、ということ。ここでいうリソースは精神面の話なのだけど、やっぱこういう面倒臭い人間として生きるにはそれなりにcharmが必要なわけで。なんならconも必要だと思うけど(そして個人的には bluffingの能力ももうちょっと欲しかったけど)、とにかくこう、そういうのが足りなかった。努力が足りないのかなにが足りないのかわからないけど、とにかくなにかが足りなかった。
結局のところ、生きていけるだけの能力がないわけです。能力がないのに、無理して、いわば背伸びをして生きているから疲れるわけで。それもsomething you have to live withと言われればそうなんだけど、でもsomething you can fixとも言えるから。じゃあどうfixするのかといえば、この世を去るしかないよね〜って。この世を去ったあとにあの世があるとは思ってないけど(とはいえ、そこは知り得ない事柄ではあるかなとも思う。誰も戻ってきてないし、確かな根拠が得られないので不可知)、とりあえず今この間違った存在をここで終わらせなければならないというか、終わらせるしかない気がしている。
いや間違った存在なんてない、というのもわかるけど。「生産性」とかそういうくだらない理由で間違った存在とかそんなことはあり得ないけど、俺の場合はただ単に餌がなくて死んでしまう野生動物と同じというか。群れからはぐれて死んでしまうのでもいいけど。淘汰される側なんだよなぁっていう。
自分ができないことを他人にやってもらうとか、そういうのを含めて生きる能力だと思うので(なので、通りすがりの人でも行政でも友達でもいいけど、サポートを得て生きられるのは素晴らしいことなのよ。make life possibleな感じがして)、頼り方がわからないのはもう終わってるんですよね。make life possibleさえできない感じ。できてない感じ。
誰にもなにも言えないと思う。誰に言えばいいのかわからないし、なにを言えばいいのかもわからない。連絡さえすれば話を聞いてくれる人たちがいることも知っているけど、誰もしっくりこない。音楽とか聴いて元気が出る感じでもない。ただもう、終わりにしない?ってそういう感覚。これ以上周りの誰かに死なれるくらいなら自分が死んでしまえば傷付かずに済む、みたいなのもあるんだろうとは思う。
つらいとかじゃないんだよな。しんどいとかでもない。悲しいという話でもない。ただただ I'm doneなだけ。仕事が済んだらみんな会社から帰宅するのと同じで、生きるのが済んだから死ぬだけ、みたいな。
そういえば昔はナイーブだったから、ずっと「誰か」を探して生きてたなぁ。言葉が通じる誰か。わかりあえる誰か。共感しあえる誰か。信頼しあえる誰か。家族も友人も本当の意味では誰のことも信頼できていないからこそそういうことを思うのだけど、でもそんな人がいるわけもなく。そりゃね、地球に不時着した宇宙人が同じ星から来た人を探してもそうそう見つかるわけないよね、って。だから本当は地球に不時着したくなかった(意訳:生まれてきたくなかった)。
100%わかりあえるとかそういうのを望んでいたわけではないのだけど、それでも高望みしすぎていたなぁと思う。『君の名は。』みたいなことはね、起こらんのよ(すみませんが新海誠作品が好きなわけではありません)。
「誰か」をずっと呼んでいたけど、そんな人がいるわけがなくて、そうかそういうのは努力して築いていくものなんだなと理解はした。したけど、その努力して築くためのスタート地点にすら立てない人間なんだな自分は、というのが今のところの結論。
たぶん俺は考えすぎているから、もっとふわっと感覚的に友達とかそういうのがつくれればよかったのかもしれないとどきどき思う。それなりに悩みもするけど、感覚自体を疑うことはないような、そういう「自然」な人間に生まれ育つことができたらよかったのにな、と。
表面的に友達をやっている人々にもとても助けられているし、感謝もしているけれども、根本的な孤独が付き纏うというかなんというか。まあ孤独なのはいいんだけど、社会的な存在としてしか生きられない生き物なのにその社会が死んでしまっているようにしか生きられないって無理じゃね?って。
だからそういう意味では、周囲が悪いとか縁がないとかではなく、自分を社会的な存在にできるほど社会性がない自分がいるという事実そのものがまずいと思っています。
はあ。疲れた。おやすみ。