石橋湛山「真の健全財政」:二種類のインフレと完全雇用
「石橋財政」で知られる石橋湛山は、「機能的財政」に通じる考え方を持っていた。またここで言われている「インフレ」についても異なる原因があり、対処法も画一的なものではないと理解していた。そして財政政策の真の目標は完全雇用であり、それこそが「真の健全財政」であると強調し、公的雇用の提供を重視した。以上のことは引用元の文章を探ってみると明らかである。
上記に引用されている石橋湛山の演説のソースを遡ると、占領期の大蔵省とその担当する財政・金融行政の歴史をまとめた『昭和財政史-終戦から講和まで』(全20巻、東洋経済新報社)の第5巻に、もう少し長い抜粋が収録されていることがわかった。
財務省(財務総合政策研究所)は、同シリーズを含め、明治から平成の財政史の全巻・全文をオンラインで無料公開している(上記第5巻でもあくまで石橋演説の抜粋であり、その全文については、東洋経済新報社の『石橋湛山全集第13巻』に収録されているようだが絶版となっている)。【4月1日追記:…と思っていたら、データベース「世界と日本」サイトでこの演説の全文が掲載されていた。インターネット偉い。】
上記引用は、昭和21年度改訂予算の政府案にあたり、当時の石橋湛山蔵相(1946年5月〜1947年5月に在任)が昭和21年(1946年)7月25日の「昭和21年度衆議院財政演説」にて、いわゆる「石橋財政」の基本方針を語った部分になる。
1 国家財政の目的と「真の健全財政」
石橋は国家財政の目的は、先ず第一に国民に仕事を与え、産業を復興し、完全雇用を目指して国民経済を推進することにあると主張する(以下、読みやすさのため現代表記に改めたので留意願いたい)。
財政は初めに「完全雇用」ありきであるという。さらには「財政均衡」を達成できても、失業者が路頭に迷うような状況は決して「健全財政」ではないと強い言葉で否定している。石橋のこの主張は、MMTが重視する「機能的財政」に通じてる考え方だと言えよう。
2 二種類のインフレ
また最初のXポストの引用元で言及されている「インフレ」とは何を指しているのか。これについても、石橋は下記のように論じている(以下、少し長いため適宜改行)。
ここで石橋は二種類の「インフレ」について述べている。完全雇用下のインフレと不完全雇用下のインフレだ。
「完全雇用」というと失業率だけを見て判断するきらいがあるが、石橋が述べているとおり、本来は労働力を含めた「あらゆる現存生産諸要素の完全稼働」のことを指している。「フル・エンプロイメント(完全雇用)の実現こそ、我々が目掛けねばならぬ財政経済政策の最大の目標と考えている」。戦時中のインフレは労働者を含むあらゆる生産要素がフル稼働していた。「総力戦」ともなれば尚更である。この状況では、生産資源をめぐって競合が生じるため、民間であろうが政府であろうが、あらゆる支出にインフレ圧力が生じることになる。
つまり戦時中は前者の完全雇用下のインフレであり、石橋はこれを「普通の意味でのインフレ」「悪性インフレ」と呼んでいる。これまた奇しくもMMTで想定されるケースと共鳴する(ビル・ミッチェルのMMT入門(英文)を参照。ちなみに日本語訳は時間かかってるが、チェックを終えたら近日中に経済学101に投稿する)。
これに対して、戦後間もない当時のインフレは戦争によって生産能力が荒廃していたことに伴うインフレであり、不完全雇用下のインフレである。当然ながら、これら二つのインフレについて、原因が異なるならば対策も異なる。
3 インフレに画一的な策はない
完全雇用下ではインフレ圧力を生じずに支出するには、政府の支出削減や民間の購買力削減(増税)を通じて生産資源を遊休状態に戻す(解放)しかない。よって、緊縮財政、石橋が言うところのデフレ政策が要請されることになる。これに対して、生産能力が著しく毀損された不完全雇用下のインフレ(「飢饉物価」)においては、むしろ生産能力への支出を増やして、「モノの生産と出回り(流通)の増加」こそが必要となる。
そして、不完全雇用下で緊縮財政を強いれば、生産はさらに縮小し、インフレはかえって亢進することになる。当時も「インフレになったら増税」という画一的な処方箋を好む言説があったのだろう。実際、「石橋財政」は日々の物価上昇を前にして「インフレ財政」だと各方面で批判された。
他でもない「戦後復興」を任されていたはずのGHQ内部でも石橋を危険視する動きが出ていた。GHQはインフレ圧力を問題にして日本政府の戦時補償の打ち切りを押し付けた。この屈辱への意趣返しだろうか、石橋はGHQや占領軍の特権、聖域と化していた「終戦処理費」(占領軍の日本駐留経費)を「戦後の日本にインフレを起こすのは賠償」であるとして問題視し、駐留費を削減させた。これがかえってGHQによる石橋の追放計画を助長することになるが、まさに強心臓を持つ「心臓大臣」と言われる所以がそこにあった。(斉藤勝久「占領期最大の恐怖「公職追放」:GHQに最も抵抗した石橋湛山蔵相(11)」、nippon.com、2021年6月2日。)
最初のXポストで紹介されている引用で言及される「インフレ」は後者の不完全雇用下のインフレである。完全雇用下のインフレでは緊縮財政は選択肢として排除されていない。緊縮財政であれ増産目的の積極財政であれ、インフレには画一的な(英語で言えばone-size-fits-all)対策があるわけではなく、まずは「インフレ」として観察される現象の実態は何なのかを精査する必要がある。
4 「真の健全財政」と公的雇用の必要
「国に失業者があり、遊休生産要素の存する」不完全雇用は、支出が足りていない証拠である。「健全財政」の指標は完全雇用の達成状況であり、結果として財政赤字になろうが、通貨供給が増えようがそれ自体は「健全財政」の指標たりえない。
また、失業の問題については、(例えば失業給付のように)失業者を失業状態のまま「消極的に救助し生活させる」だけに止まってはならず、仕事を与えることで、生活保障と生産増加の一挙両得をもたらすことこそ上策である。石橋は公的雇用創出の必要性について以下のとおり論じている。
「何らかの勤労に耐える能力」を持つ非自発的な失業者を「失業者たらしめざる」政策が必要であると石橋は訴える。「失業者には失業給付を与えればよい」というアプローチでは、生産にとって深刻な機会損失を放置することになる。また生産の毀損はインフレ圧力を助長し、本来守るべき国民の生活にとっても負担を増やすことになる。先に触れたとおり、石橋にとって「国家財政の目的は、先ず第一に国民に仕事を与え、産業を復興し、完全雇用を目指して国民経済を推進すること」だった。
「総力戦」という国家目標が潰え、残された負の遺産によって生活苦に喘ぐ国民にとって、「戦後復興」という新たな目標を前にして必要とされるのは「財政の再建」などではなく、人々がそれぞれの能力を発揮できる、その機会が与えられる完全雇用社会の実現にあったと言えるだろう。(終)