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(掌編小説)くろねこ春子の日常#009小春、帰省する

満月の夜に黒猫に変身する女の物語。
父親の13回忌に帰省しろと母からの連絡。しかしその日は満月の日、春子に変身する日だった。もちろん母親はそれを知らない。


「小春!来月の14日の日曜日、お父さんの13回忌だから。わかってるよね?」
 電話口のさゆりは今日も元気そうで何より。さゆりとは私のお母さん。
「わかってるよ。あ!え?14日?!!!」
 14日は満月の日だった。夜になると春子に変身してしまう日だ!法事が終わって急いで家に帰って間に合うかどうか、もしも帰宅中に春子に変身したら大変だ。私の頭はフル回転していた。私が猫に変身することはお母さんにはもちろん内緒になっている。どうしよう、さぼれないか。
「あんたもしも休めるなら、ゆっくりしていけばいいじゃん」
 そう言ったお母さんの声がなんだか寂しそうに聞こえて、私は日曜日まで泊まっていこうかと考えた。この際お母さんには本当のことを話そう、変身する私を受け入れてもらおう。誰かにわかってもらいたくて、本当は話したくて仕方なかったから、私は腹をくくった。
「お母さん、じゃあ土曜日に行って、月曜日に帰るよ。ゆっくりさせてもらうよ」
 私がそう言うとお母さんの声はあきらかに明るくなって、私は缶ビールをグイと飲み干した。

 新幹線はいつ乗っても快適だ。外は灼熱の太陽が暴れてるというのに、まるで天国のよう。私は喪服を詰め込んだキャリーバッグを足元に置き、新幹線の窓際でぼんやり外を眺めていた。実家に帰るのは数年ぶりだ。ちょっと前までは彼氏を連れて来いだの結婚はするのかだのうるさかったお母さんが、最近はとんと言わなくなった。昨今の風潮からすれば当然なのだろうが、私のお母さんに限ってそんなことを気にするとは思えなかった。とは言え、電話口のお母さんは以前に比べると少し弱々しく、私のことを気遣っている様子も感じられた。年を取ったんだなあ、お母さんも私も。そんなことを考えていると、私が猫に変身するなんて、本当にバラして良いのかと躊躇せざるを得ない。気が重いよ。そんな想いを乗せて新幹線は東京からどんどん離れていった。

 新幹線と在来線を乗り継いで4時間、私は山と川しかない実家の玄関の前に立っていた。お母さんはお昼でも食べているのか?なかなか出てこない。しばらくすると家の中から赤ちゃんの泣き声が!え!?何だ!誰?
「ああ!小春!お帰り!入んなよ。かなちゃんが来てるよ!」
 玄関の戸をガラガラと開けて出てきたお母さんは満面の笑みを浮かべていた。それにしても先客とは、というか幼馴染のかなちゃん!
「ただいまー」
 私はキャリーバッグをひょいと持ち上げ敷居をまたぐと、ガラガラと土間に入った。そして大騒ぎしている方を見ると、お母さんとかなちゃん、そしてだんなさんに抱かれてる赤ちゃん。だんなさん?あれ雅人じゃん!私が高校の時付き合ってた彼氏じゃん!
「あ、お邪魔してます!小春が帰って来るって聞いたから、私会いたくて。久しぶりだねえ!」
「うん。久しぶり。かなちゃん、雅人と結婚したの?」
 私はバッグを土間の隅に置いて、畳の上にあがった。雅人は赤ちゃんの顔をずっと見てあやしている。お母さんはニヤニヤしながら台所に引っ込んでしまった。
「うん。ごめんね小春、招待状も出さなくて。3年前に結婚したんだよ」
 かなちゃんがそう言って、やっと雅人が私の顔を見た。浅黒く日に焼けた顔は、野球部だった高校生の頃と全く変わらなかった。話を聞けば、雅人は実家でお父さんと一緒に農業をやっていて、かなちゃんは地元の郵便局の職員。2人は地元を離れずに、結婚して子供を育てている。私はふわふわとマシュマロのような赤ちゃんを抱っこさせてもらいながら、ここにはここの時間が流れているんだと、そしてお母さんはここの時間で生きてるんだと悟った。私が赤ちゃんをかなちゃんに返すと、かなちゃんは優しく笑いながら言った。
「いいねえ。小春はおしゃれで。東京はいいねえ」
 かなちゃんのたくましい二の腕は、優しくしっかりと赤ちゃんを抱いていて、その隣でニコニコ赤ちゃんをあやしている私の元彼は、まごうことなく彼女のだんな。私は元彼の後頭部を見ながら、せめて禿げないかなあと妄想していた。

 帰省していきなりこんな目に合うとは思わなかったけれど、かなちゃん達が帰った後の家の中は急に静かになった。お母さんが夕食の支度をしてくれている間に、私はゆっくりお風呂。浴槽も何もかも古くて昔のままだけど、とてもきれいに掃除されていて、お母さんを少し尊敬した。
 お風呂から出てお母さんとビールを飲みながら夕食。アルコールで顔を赤くしながら、とりとめなく落ちもないお母さんの話を、私はずっと聞く係。ああ、私は法事のある明日の夜、黒猫に、春子に変身しちゃうんだよなあ。どうしよ。いつ言おう。私はずっとそんなことを考えながら、おかあさんの話に相槌を打っていた。

 翌日、真夏のじりじりとした太陽の下、私とお母さん、お父さんの弟夫婦の4人でお寺に行き、お父さんの13回忌の法要を済ませた。駅の近くに1軒だけある仕出し屋が運んでくれたお弁当を、お寺の隣にある食堂で食べた。
「看護師だっけ?小春ちゃんはえらいね。東京で1人でがんばってて」
 叔母さんは小さな口でエビフライを食べながら言った。
「私も東京に出たかったなあ」
 叔母さんがそう言うと、お母さんは東京の悪口を語り出して、私も面倒だからそれに乗っかって東京の悪口を死ぬほど言った。叔父さんは無口な人で微笑んだまま何も語らず、私はそういう叔父さんが小さな頃から大好きだった。

 実家の居間に昔からある掛け時計は午後5時を回っていた。そこに私はお母さんと2人きり。
「小春、お風呂入ってくれば?」
「うん、いや、その、実は大事な話があるの」
 私が下を向いて話始めると、私の頭の上をお母さんのとぼけた声が。
「いい話かなー、悪い話かなー。どーちだ?」
 私は顔を上げて、微笑んでいるお母さんに真顔で言った。
「不思議な話」
「ん?」

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