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(掌編小説)くろねこ春子の日常#007幸せとプラチナリング

満月の夜に黒猫に変身する女の物語

先生が無くした指輪を探す小春。


 屋根の上にぽっかり浮かぶきれいな丸い満月。春子になった私は秋の夜の散歩。満月の夜に黒猫の春子ちゃんに勝手に変身しちゃうから、そんな日は夜遊び。春子ちゃんが生きてる頃は家から出したことが無かったのに、変身すると外に出たくてたまらなくなる。春子ちゃんは我慢してたのかな?
 住宅街の小さな一軒家。私はこのお家が好きで、変身すると度々のぞいてる。お家と言うか、この家族が好きだ。下の子は幼稚園くらいの女の子。私は勝手にみかんちゃんって呼んでいる。丸くて、髪留めがみかんのヘタみたいだから。上の子は小学1年生くらいの男の子。命名カンタくん。お母さんは専業主婦。ヨレヨレのTシャツを着ているけど、いつも笑顔なんだよな。お父さんは何をしている人か想像がつかないけど、決まって夕方6時半に帰ってくる。
 私はそのお宅の窓の外にへばりついて、家の中をのぞいてる。あ、お父さんが帰ってきた。子供が我先にと走り出す。いつの間にかみかんちゃんの後にカンタくんは立っている。優しい子だね。お父さんはみかんちゃんを抱き上げて、カンタくんの頭を撫でる。テレビはNHKのニュースが流れてて、そんなことお構い無しに子供たちは騒ぎ、お母さんがテーブルにご飯を並べる。今日はカレーか。おいしそうな匂い。私はしばらくぼんやり眺めていた。
 ご飯を終えたみかんちゃんが私を発見して、突然走りよってきた。私はつい固まってしまって、まん丸の目のままみかんちゃんを見つめた。
「かわいい!ジジみたい!大きなジジ!」
 みかんちゃんは窓を開けた。私は無意識に家の中に入ってしまった。しかもみかんちゃんに抱っこされてしまった。
「お母さん!かわいいねえ」
 みかんちゃんがそう言うと、お母さんもお父さんも笑っていた。
 カンタくんもやってきて私の頭を撫でた。カレーの匂いのする手だ。私は他人の家でくつろいで、畳の上に寝転んだ。
「飼い猫だね。遊びに来たんだな」
 お父さんもお母さんもやってきて、私の頭を撫でた。そしてみかんちゃんの膝の上で、しばらくNHKのニュースを観たあと、私は急に窓に向かって走り出した。あんまり幸せな気分で、怖くなったのだ。
「バイバイ!ジジ!また来てね!」
「ニャーン」
 私はかわいくご挨拶をして、また夜のパトロールに戻って行った。

 ある日病棟の廊下を歩いていると、小宮先生が私を呼び止めた。30歳くらいの女の先生で、童顔なので仲間内では沙希ちゃんって呼ばれてる。
「黒沢さん。すみません、私結婚指輪を無くしてしまって、どこかに落ちてるかもしれないので、もしよかったら…」
 先生はそこまで言うと懇願するように私の目を見た。目の下にはくまが出来てて、髪の毛もはねてる。化粧もしてない顔の眼鏡の奥の瞳は、なんだか年を取って見えた。
「先生。わかりました。ちょいちょい探してみますよ」
「ありがとう。助かるわ」
 先生は早口でそう言うと足早に去っていった。

 ナースステーションに戻ると、日勤の看護師も来ていてがやがやと賑やかだった。私は仲良しの慶子ちゃんに小宮先生の話をした。
「あ!沙希ちゃんね!指輪のことみんなにお願いしてるみたいよ。ちょっとしつこいくらい言ってるから、みんなもめんどくさがっててね。だんなさんも医者でお金あるんだから買いなおしてもらえばいいじゃんって言う人もいてね。私はそこまで思わないけど、精神的に余裕なさそうだよね。あの先生」
「今朝会った時もとっても疲れてそうだったよ」
 私はそう言って慶子ちゃんの顔を見た。ああ、慶子ちゃんも疲れてそうだな。みんな疲れてるんだよね。

 今日は満月だから有給とってお休みの日。昨日から小宮先生のことが時々頭に浮かぶ。ベッドの上でダラダラとスマホを見ながら、ついつい彼女のことを考えてしまう。遮光カーテンをしっかり閉めてなかったので、隙間から朝の光が私の肩を叩く。私は振り向いて目を細めた。
「どうせ今夜も暇だから、春子ちゃんに変身したら指輪を探しに行くか。暇だからさ」

 そして夕方、私はいつものように、とってもいい気持ちになって体を大きくのけ反らせた。その直後、今度は膝を抱え込むように丸くなる。一瞬意識が遠のき目を閉じる。春子ちゃん!変身完了!


 病院に潜入するにはまだ時間が早すぎるにゃん。そうだ!あの家に行ってからにしよう!私はワクワクしながら、あの家に向かった。もうお父さんが帰ってる時間かな?満月の夜の町を駆け回って、あのお家の窓に着いた。窓の外からお家の中をのぞくと、いつもより雰囲気が暗いにゃん。テーブルにはお父さん、みかんちゃん、カンタくん。あ、お母さんがいない!どうしたの?お母さん?私は心配になってずっと見ていたけれど、お母さんはいつまでたっても現れなかった。ご飯が終わってからも、子供たちはテレビでアンパンマンを黙って観ていて、お父さんはバタバタと洗い物をしていた。やだなあ、心配だにゃーん!しかしもうそろそろ行かなきゃ。また来るにゃん。

 頭の上の大きな満月に見守られながら私は病院に忍び込み、勝手知ったる病院を縦横無尽に駆け回った。看護師さんに見つかりそうになるドキドキ感がたまらない!たとえ見つかっても逃げ切る自信は満々にゃーん!
 しかしまあ、こんな広い病院でいくら小宮先生が行きそうな場所を限定して探しているとはいえ、指輪を探すのは無理だにゃん。私はとぼとぼ女子トイレに入って、鏡に自分の姿を映してニヤニヤしていた。探し物というのはふとした瞬間に見つかることがある。私が洗面台から飛び降りて、何気なく振り向いた時、洗面台の下の床の隅に光るものが!あった!銀色に輝くプラチナリング!やっぱり私は持ってる猫だにゃーん。

 私は指輪を咥えたまま医局へ向かった。この時間なら誰もいないはずだ。案の定当直の先生たちは仮眠室にでも行っているようで、部屋の中には誰もいなかった。私は小宮先生のデスクに行くと、机の上に指輪をそっと置いた。そのまま帰ればよいものを、ついついのぞいてみたくなるのが人情というもの。私は爪を駆使して机の引き出しを開けてしまった。(ごめん先生!)
 あれ?何だこれは?沙希ちゃん?私へんなもの見ちゃったかな?

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