(掌編小説)くろねこ春子の日常#010サッカーボールを蹴るように
黒沢小春35歳。満月の夜に黒猫の春子に変身する女の物語。
サッカー少年と出会う小春。その子とお父さんと、小春の物語。
クリスマスの朝、目が覚めたら大きなサッカーボールが枕元に。けばけばしいオレンジ色の、お化けかぼちゃのような大きなサッカーボール。お父さん!なんでこんなに大きなボールをくれるの?サンタさんなんて居ないんでしょ?知ってるよお父さん!お父さんなんでしょ?私は泣きながら布団から出ると、なぜかブルーのユニフォームを着ていた。あれ?何このダサいユニフォーム。するとテレビの音が突然聞こえてきた。
「サッカー女子日本代表FWは黒沢、黒沢小春!」
えー!!!私、日本代表に選ばれちゃった!お父さん!喜んでよ!
私はそこで目が覚めた。夢か。確かに私は高校の部活はサッカー部(補欠)だったから、まあ夢でも代表選出はうれしかったけどね。寝る前に、亡くなったお父さんのこと考えてたから、お父さんがふざけてこんな夢を見せたのかな。
時計を見たらもう午後4時、夜勤明けにしても寝すぎだな。このまま外に出ないのも嫌だから、ちとコンビニにでも行くか。私は寝ぐせの付いたボブの頭をキャップでごまかして、ジャージ姿のまま外に出た。ああ最近は本当に運動不足だな、少し遠いコンビニに行くか。私はいつもとは反対方向のコンビニに向かって歩いた。10分も歩いた所に小さな公園があり、そこで小学校低学年位の男の子が一人、サッカーボールをリフティングしていた。私がニコニコしながら見ていると男の子も私を見た。その瞬間、ミスった男の子のボールが私の足元に。私は反射的に男の子に蹴り返すと、男の子はすぐに蹴り返してきた。私は楽しくなって男の子の前までドリブルすると、男の子はものすごい勢いで私のボールを奪いにきた。私も男の子もムキになってボールを奪い合う。小さな公園にボールの音と、私と男の子の荒い息遣い。あー楽しい。
陽が落ちて私と男の子は仲良くベンチに並んで座った。
「おねえちゃんサッカー上手いね」
「高校生の時サッカー部だったからね(補欠だけど)」
「すごい!またお願いします!あ、お父さん!お帰りなさい!」
振り向くと40代位のスーツ姿の男の人が立っていた。仕事帰りか、パリッとしたスーツに大きな背中、私は自分のお父さんのことをふと思い出した。
「迎えに来たよ。遊んでもらったのか、どうもすみません」
お父さんはしっかりとお辞儀をしてくれたので、私も慌てて立ち上がって頭を下げた。
「おねえちゃん!今度お父さんと3人で蹴ろうよ!今度の日曜日!ね!」
男の子はお父さんのそばでそう叫んでいた。私は愛想笑いをしながらあいまいな返事をした。お父さんも男の子をなだめていたけれど、男の子は去り際にまた大きな声で叫んだ。
「僕の名前は北川翔!小学3年生!今度の日曜日、公園で待つ!!!」
私は手を振りながら、つい
「午後ね!お昼食べたらね!」
と言ってしまった。お父さんはまた私に深々とお辞儀をしていた。ああ、約束してしまった。楽しかったから、つい。
日曜日、私は気合を入れて黒いジャージと赤いスニーカーといういでたちで公園に行くと、翔くんとお父さんが私を見て手を振っていた。
「おねえちゃん!待ってたよ!」
暖かな日差しの春の日、私と翔くんとお父さんの3人は汗まみれになってサッカーボールを蹴った。楽しい!体を動かすことがこんなに楽しいなんて!楽しい時間はあっという間に過ぎて夕暮れ、お父さんは髪をかき上げながら私に言った。
「夕ご飯、良かったら家で食べますか?いいワインもあるんで」
私は遠慮すればよいものを、ホイホイ付いていった。公園から3分も歩いた辺りにそびえるタワマンの15階。私はふっと気が付き、お父さんにそっと言った。
「すみません。奥さんにご迷惑ですよね?私もうっかりしていて…」
「いえいえ。妻とは別れてまして、今は一人です」
「あ」
そうして私は子持ち独身中年男性のマンションに入っていったのだった。
お父さんの名前は雅人さん。42歳。台所に立つ背中が、小さな頃おんぶしてくれたお父さんを思い出させた。ワインとソーセージ、サラダにチーズやパスタをいただきながら夜も更けて、いつのまにか翔くんはソファで眠っていた。
「すみません。今日はごちそうになりました」
「いえいえ、ありがとうございました。妻と別れて3年です。翔もうれしそうで」
2人でワインを1本空けた後、なかなか手に入らないという日本酒も出してくれた。雅人さんはそこそこ酔っ払いながら、子供を捨てて男と出ていった奥さんのことを私に話した。私もだいぶ酔っ払ってしまって「クズ女ですねえ」とか、軽口をたたいていたと思う、覚えてないけど。
それから何度か3人でサッカーをした。翔くんはクラブチームに入っているけれど、まだ試合には出たことがなくて、いつもいつも上手くなりたいと言っていた。雅人さんはそれを聞きながら、優しい目をして笑っていた。
そんなある日、雅人さんからLINEが来た。
”子供を実家に預けますから、今度2人で飲みに行きませんか?”
私は目の前のスマホの文字をずっと見つめたまま固まっていた。見れば見るほどに、ほんのり光る文字はゲシュタルト崩壊していって、私は甘いとも苦いともつかないため息をついた。
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