畏怖の念を持ち続ける人が強運を招く!
先日、友人のFacebookに
「●月●日は亡くなった主人のお誕生日。
お墓参り…行かなきゃ…
お墓、相変わらず苦手なんだなぁ…」
という、投稿がありました。
何で苦手なのか?
主人を思い出すと辛くなるからかな?
理由を聞くことはできませんでしたが、
続きを読んでいくと、
とある会の会長から、
「お墓参り、すっごいチカラあるよ」
はたまた悪友の姐さんから、
「お墓参り行くと良いことあるよ」
(ホントかな~~~)
半信半疑のまま、お墓参りに行った。
するとその帰り、、、
朗報を聞くことに!
『しばらく会ってなかった友人が
新たにお店をオープン。
再婚して幸せになってる!』
良い事があるにしろ、ないにしろ…
お墓参りは、穏やかな気持ちになれる。
初心を思い出す時間になる。
そして、私にできる事をやる。
私の持っているものは惜しみなく伝える。
誰かのお役に立てるのが嬉しいから。
という、気持ちになれたそうです。
以前、お寺のご住職から
「墓石に手を合わせることは、
ご先祖の為だけじゃなく
自分の心にも良い大切な時間です。」
と聞きました。
お墓参りはまさに、
【畏怖の念(いふのねん)】
を持ち続けること。と実感しました。
畏怖の念のは
「偉大な人に対して畏まって敬うこと」
↓
畏まる(かしこまる)とは、
身分の高い人、目上の人の前などで、
おそれ敬う気持ちを表して謹んだ態度をとる。
↓
敬う(うやまう)とは、
相手や目に見えない存在などを、
尊いものとして敬意を払ったり、礼を尽くす。
お墓参りで手を合わせ、畏怖の念を抱く。
先祖に対して「畏まって敬う」気持ちは、
強運を招くことにつながります。
運がいい人はお墓参りを欠かさずしている。
と聞きますよね。
そう確信できた友人の投稿でした。
お墓の維持管理が大変、
子どもに迷惑をかけたくないなど、
様々な価値観があり、
お墓の在り方が多様化してきました。
しかし、このような目に見えない力も
十分に感じることが出来ます。
何か困った時や不運が続いた時は、
自然と手を合わせて拝みたくなるものです。
日頃から感謝を伝え、大切にしていきたいですね。