エッセイ「不規則で不確実、だけど私独自のサイクルについて」/詩と朗読 poetry night 第 101夜
朗読会や朗読劇などをすると、そのあとしばらくグッタリしてフラフラになり、回復に一週間ばかりかかる。
上演当日はドーパミンだのアドレナリンだののお蔭か、たいていの場合、滑舌も声の通りも良くなる。
しかし発声する身体が40kgちょっとしかないので、体重に対する消費エネルギー比率が高くなってしまう。終える頃には全エネルギーが底をつき、蓄えのない身は動けなくなるのである。
また、もともと持っている体力が人よりずっと少ないため、何をするにしても、わずかな時間で消費してしまい、体力が切れれば倒れるように寝る。充電にはあきれるほど時間がかかる。
だから、活動→寝る→寝る→寝る→活動→寝る→寝る、という私の独自サイクルは、健常者の過ごす24時間とは自ずから違ってくるのだ。
病気を持っていると、「規則正しく暮らすのが健康のため」といろんな人からアドバイスをいただくのだが、規則正しく生きるのにも体力が要る。すでに健康を失っている私の実情と合ってはいない。
このサイクルは、不規則で不確実ではあるが、この身体でなんとか生き抜くための必然的な手段なのだ。
そんな自分の体力を考慮しながら、活動計画を立てている。他の方々の活動を観賞したり参加したりするのも、余剰体力があるときにしかできない。とてもとーっても残念だが、これもやむを得ない。
世間の「〜ねばならぬ」から距離を置き、義理とか義務とかも手放して、ただただ生きられるように生き、好きなことをするのみである。