新・古今東西見聞録
『コカコーラ・レッスン』から歳を重ねて…
私は谷川俊太郎の詩が好きだった。最初は訳も分からずにである。当時は、“現代詩”という括りの中で、文字がかっこよかったのだ。文字がかっこよいでは、おそらく貴方には伝わらないだろう。読んでほしいのだ。そう、騙された思って読んでほしいのだ。
とにかく、恐ろしいほどボキャブラリーの底なし沼が、彼の頭の中にあるとしか思えない。それを絞って出てきたものを、彼はそのまま文字にしてしまう。おそらくそんなところであろう。『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』なんて、とんでもない文字が飛び交うし、そして、タイトルのそれで結ばれる。“台所”のスケール感が、私たちの知っているのとは、間違いなく違うのである。その素敵なこと、恐ろしさと背中合わせの素敵なこと。
また、彼の才能は翻訳家でもあり、歌詞も書き、絵本(文)、童謡(詩)もこなしてしまう。そのほかの分野でも活躍。その凄さは、私たちのガキの頃、夢中になった『鉄腕アトム』の歌詞で、谷川俊太郎の洗礼を受けている。まさに“詩”の世界から飛び出してしまった巨人なのである。私もシンガーソングライターの一面を持っている以上、避けて通れなかった巨人であるし、歌詞の中で思いっきり影響を受けているものもある。
今回のタイトルにある『コカコーラ・レッスン』。鋭いのである。ぜひ、読んで頂きたい。私にとって形容しがたいが、文字が生き生きとしている。輝いているのだ。おそらく、今の谷川俊太郎では、おそらく書けないものがそこにあるのだ。生々しく、しかし異常なくらいピュアなのだ。私の解釈は間違っているかもしれない。しかし、それが“現代詩”、いや“詩”の世界なのだから。
ひとつ言えば、これはかつて私が教育実習に行った時の話なのだが、子供たちにとある物語の一節を読ませて感想文を書かせる。私はそれを採点するわけだが、模範解答があったりするのだ。つまりその模範解答から逸脱していると、点数がマイナスされてゆく。でも、相手は子供だ。インスピレーションを飛ばして、突拍子もない答えもある。でも、それは0点になってしまう。不条理である。しかし、かつて昔の教育実習ではそんなことがあった。
変な例えではあるが、谷川俊太郎という人は、その突拍子もないまま大人になって、暗喩を武器に詩人となっていった人だと思う。
もし、異常気象で短くなってしまいつつある秋に、これを読んで気になったら、谷川俊太郎の本を開いてくれたら、私の企みは成功した…のかな?
追記 谷川俊太郎氏が、11月18日までに逝ってしまった。私たちは彼からの言の葉を深く読み解く努力を忘れてはいけない…合掌。