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これが映画だ!
虚構を蹴飛ばして、初めてドキュメンタリー映画は成立する!
最近のテレビ番組のドキュメンタリー作品を観ると甘い!甘すぎる!造りが見え透いているからだ。観ているほうをギョッとさせるものが少ない。だから、日曜の昼2時とか、後は深夜に追いやられている。かつて大島渚が務めたドキュメンタリー番組なんぞは、ゴールデン・タイムに放送されたりした時代もあったのだ。時代が違う?そんな言葉で逃げてはいけないのだ。しかも甘いだけではない。プロデューサーなりディレクターなりの“補足”的、
“語り部”的、もっと言えば“演出”的…これはドキュメンタリーでやっては致命的とも言える“演出”的、いや演出なのだ。
そのドキュメンタリーの対象に、感情移入した時点で、すでにドキュメンタリー作品ではないのである。その後はどんなカット、どんなシークエンスを撮っても“庇い”に入ってしまうから。若いクリエイターの登竜門になっているような、テレビのドキュメンタリー番組は観る価値ないかもなぁ…。最近で良かったのは、ドキュメンタリー版『新聞記者』があった。(テレビではない。)
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前置きが長くなってしまったかもしれないが、冒頭のスティールフォトで
解った方は素晴しい。近作『水俣曼荼羅』(2020年)でも、リアリスティックに、時にシュールに、被写体を突き飛ばした(形容しがたい捉え方)描き方で372分釘付けにしてくれた原一男監督の傑作ドキュメンタリー映画である『ゆきゆきて、神軍』だ。私は、今のテレビマン、ドキュメンタリー担当には、ぜひ見て頂きたい。これ程、喧嘩腰のような構造で作り上げられた作品を、今まであまり観たことがない。
そもそもの始まりは奥崎謙三著『田中角栄を殺すために記す』という自費出版本を今村昌平監督から勧められた後、ぜひ会いたいと今村昌平に原一男が言うと、今村は自らの名刺に“原一男君を紹介します”と書いて原に渡す…簡単に言うと、このような感じで原一男と奥崎謙三は繋がったのである。かつての『朝まで生テレビ』(田原総一朗には悪いがBSに移行したそれではない)ような丁々発矢が、こうして始まるのである。しかしだ。しかしである。第二次世界大戦のニューギニア戦線で何が起こったかは、まだ原一男は知る由もなかった…。
原一男が撮る奥崎謙三は、時に暴力的で、時に突き動かされ暴こうとする男でもあった。でもある意味で“演技”が達者な男とも言える。時折、カメラに向かってほくそ笑む奥崎がいたりするのだ。今回これを記すにあたって、今一度観たのだが、奥崎謙三に軍配が上がる。しかし、122分に刻まれたソレは驚くべき起承転結を生み出している。編集が素晴らしかった?それには無理がある。切って貼って繋がるのなら、ドキュメンタリーなど必要ないし、それはあまりにも無謀な挑戦というか、出来ないだろう。これほど完璧と言えるドキュメンタリー作品を奥崎謙三は、原一男に「全く面白くありません」と感想を手紙で述べたという。
原一男、奥崎謙三のそれぞれの心身の動きは別にして、これはひとつのドキュメンタリー作品としては、最高峰の一本である。観て頂きたいなぁ…。
今回の主役級映画
ゆきゆきて、神軍
監督 原一男
出演 奥崎謙三
1987年/日本/カラー/122分
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